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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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ある祈り
 

 

 父よ
私に与えて下さい
私に変えられないものを
受け入れる広さを
変えられるものを変えていく勇気を

そしてこの二つを
見分ける賢さを

私の思いではなく
あなたの意志が
行なわれますように



ラインホルト=ニーバー   

| 書きとめておきたい言葉 | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
干からびた骨・・No,4
 
. 息の吹き入れ(9,10 節)


こうして骨が組み立てられました。筋がつき、肉が生じ、皮膚がおおいました。けれどもまだ息がありません。かたちは立派に整っても、その中に息がないために、本当に生きたものにならないのです。8 節の終り「しかし、その中に息はなかった」。これこそが最終的課題です。
問題は「かたちがない」ということより「息がその中にない」現実なのです。 息、息吹いぶき。それは自らの内に自然発生するものではなく、吹き込まれるものです。

創世記2 章7 節「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は、生きものとなった」。

神の息を吹き入れられ、生きる者となることこそが永遠の課題です。
1 節から10 節まで「息」という言葉が7 回出て来ますが、そのうち4 回は「生き返らせる」
という動詞と共に用いられています。私たちを生かす「息」これが神の「霊」ですが、この息、
霊こそが、破れ果てた者を立ち上がらせる力であり、絶望の淵にいる者を生かすものです。そして何よりも墓から取り上げて、新しい生命をもたらすものであります。
この息、神の力としての霊を、主イエス・キリストは、私達に最大の賜物として与えて下さるのです。
ローマ人への手紙6 章23 節「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」。

主イエスの十字架と復活によって、ひどく干からびた骨のような私達に息を吹きかけ生ける者として下さいました。復活の主イエスは、ヨハネの福音書20 章21 節「平安があなたがたにあるように。父がわた
しを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」。22 節「そして、こう言われると、
彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい』」。この復活の主が「息を吹きかけて言わ
れた」生命の言葉を受け取りつつ、枯れた骨が横たわる世界・社会に向かって出て行くのです。

4 節では、干からびた骨に預言しましたが、今度は息に預言します。
9 節「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え」と。ひどく干からびた骨が「主の言葉」によって、骨と骨と
が集まって繋がりました。そして枯れた骨に生きた肉がつきました。
そして今度は「息に預言せよ」です。「息に預言せよ」との意味は、神の力をもって御霊に祈りなさいという意味です。
息に預言することは、神の力をもって御霊に祈ることです。御霊は死んでいるものを生かす働
きをするのです。競灰螢鵐反佑悗亮蟷3 章6 節「文字もんじ
は殺し、御霊は生かす」とあります。

ローマ人への手紙8 章2 節「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理
から、あなたを解放したからです」。

御霊の働きは罪人の心、「罪の中に死んでいた者」の心に
神の生命を与える働きをするのです。更に9 節「息よ。四方から吹いて来い。この殺された者
たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ」と私たちは祈り続けなければなりません。
10 節「私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、
自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった」。神は無力で弱い干からびた骨、沈滞し
ている干からびた骨にビジョンを持っておられ、みことばと息を通して干からびた骨を軍隊と
されるのです。御霊の働きを強く願い求めるならば、神からの息、霊が彼らの中に入って、彼らは甦ります。預言の言葉と共に、主の御霊が働いて初めてイスラエルは再生することが強調されました。
 
| 書きとめておきたい言葉 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
干からびた骨・・No,3
 . かたちの形成(3-8 節)


ドライ ボーンズ(dry bones)、干からびた骨、これは最早、生き返る希望のない亡国の民イスラエルを象徴するものでした。呼びかけても何の反応もありません。聞いても行なわない。
無気力で無関心な同胞、彼らは全く枯れた骨であり、生きているというのは名ばかりで、ただ
存在しているにすぎないとの感をエゼキエルは深くしていました。

3 節「主は私に仰せられた。『人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。』
私は答えた。『神、主よ。あなたがご存じです』」。いくら働きかけても無駄であることは
「主なる神よ、あなたが一番良くご存じではありませんか」という意味も込められているように思えます。

神の御言葉は力です。神は御言葉によって天地を創造されました。御言葉は天地を創造する力であり、未来を創造する力です。神の御言葉は種と同じです。御言葉の種を蒔く時その種が
現実になります。「光があれ」と語られた時、光が創造され、太陽も月も御言葉によって創造されます。

神は谷間の干からびた骨を救うためにエゼキエルに語られました。干からびた骨に向かって預言せよと命じられました。4節「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主の
ことばを聞け」。5 節「神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る」。6 節「わたしがおまえたちに筋をつけ、
肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう」。
神の人間に対する対し方はいつもこうであります。

人間にとってもう駄目だというところから神は何かを始められるのです。

「人の終止符・ピリオドは、神の句読点・コンマです」。

人間にとってはピリオド・終止符であっても、神はそれをも
って新しい何かを始めるコンマ・句読点となさるのです。
「人のピリオドは神のコンマです」。
聖書はそうした記事で満ちています。アブラハムは99 歳、サラも90 歳くらいで、二人には子
供が与えられることは全く考えられないことでしたが、神は100 歳のアブラハムに息子イサク
をお与えになりました。神は奇蹟的な歴史を創造することが出来ます。
色々な難しい局面、絶望的な状況にあっても、そこから何かを始められる神の御手を信じて、
次の一歩を踏み出せるかどうかということが、信仰があるか否かに繋がっていくことなのだと思わされます。

7,8 節 神の命令を受けエゼキエルが干からびた骨に預言した時、骨が動き、甦り始めました。
驚くべきことです。

神の御言葉が臨む時、干からびた骨が甦り、骨と骨が互いにつながって筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をおおいました。

神は御言葉に従う人を用いられます。ルカの福音書5 章4,5 節でガリラヤ湖で一晩中働いて
も、魚一匹もとれなかった時、主イエスはシモン・ペテロに4 節「深みに漕ぎ出して、網をお
ろして魚をとりなさい」と言われました。するとシモンが答えて言いました。5 節「私たちは、
夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょ
う」。この大いなる「でも」「しかし」を発することが出来るかどうかが、信仰の分岐点です
| 書きとめておきたい言葉 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
干からびた骨・・No,2
1 節「主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に置かれ
 た。そこには骨が満ちていた」。

この谷間には、栄光の輝きはありません(エゼキエル書3 章
22,23 節)。ただ累々たる干からびた骨の堆積があるのみでした。1 節には契約の神「主」の名
が二度繰り返され、主の臨在がこの谷間の真ん中にもあったことを示しています。

主は捕囚の地、谷間にあっても、ご自分の民を契約の故に覚えていて下さるのです。「谷間」は定冠詞が付いているので、エゼキエル書3 章22 節の「谷間」と同じ所です。

その谷間はエゼキエルがいつも主との交わりを持った場所です。そこには多くの干からびた骨がありました。
干からびた骨は11 節から分かるようにイスラエルを指します。人々はどんな事態になっても、
エルサレムの神殿がある限り、望みがあると考えていましたが、今やその神殿もネブカデネザル王の手で破壊されてしまった。
もはやイスラエルは干からびた骨のようだと感じていました。

2 節「主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの
骨があり、ひどく干からびていた」。

その谷間は古戦場でもあったのでしょうか。白骨が累々と散らばっている所でした。

ひどく干からびた人骨が散在しています。これほど絶望的な場所は
ありません。その荒涼とした状況の中でエゼキエルは幻を見させられるのです。

墓で幻を見るとは象徴的です。神はエゼキエルに言われました。

エゼキエル書37 章13 節「わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」。

確かに深い意味で「墓場のある所にのみ復活がある」
のです。
呑気な生活には墓場はありません。しかし復活もまたないのです。最も絶望的な死の
状況において、死人の甦りの幻の中に見るのです。これが信仰者の現実です。
私は本当の信仰の人間的基礎は、苦境における絶望ではないかと思います。

                  リビングライフより
| 書きとめておきたい言葉 | 07:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
エゼキエルが立たされた場
エゼキエル書37章についてさらに詳しく知りたい

書かれた背景や意味について交われたらとちょっと色々検索。

分かりやすかったのでちょっと転載します。

 



. 干からびた骨(1,2 節)


バビロン王ネブカデネザルによって永遠の都とうたわれたエルサレムは陥落し、ゼデキヤ王
を先頭に捕虜達が連行され、南王国ユダが滅亡したのは紀元前586 年のことでした。
神の民が異邦の民に滅ばされ、神の都が異教徒らに蹂躙(じゅうりん)されたという衝撃は癒やし難いものでした。

「神はもともと無力だったのだ。信仰など所詮、幻想に過ぎない」

と、虚無と倦怠に堕する者がいました。

「現実は厳しい。何だかんだと言っても人間のことは矢張り自分の力でやらなければならない」

と、信仰を離れ、世俗と妥協、同化して行く者が続出しました。

そして

「この悲惨は自分達の罪の結果だ」

と心深く感じ、悔い改めて出直そうとする者は実に少なかったのです。 こうした中にあって、神が預言者として立てられたのが、青年エゼキエルでした。

エゼキエルは大祭司ツアドクの末裔(まつえい)で、代々、祭司職にあったエリートであっただけに、紀元前597 年にユダの王エホヤキンと一万の精鋭達と共にバビロンに移されたのです。そのエゼキエルは捕囚地バビロンで紀元前586 年のエルサレムの陥落とユダの国の滅亡のニュースに接し
ます。捕囚の憂目は耐え難い屈辱であったろうと思います。自分の責任でないことを担わさせ
られる遣(や)り切れなさを、一身に負った、この名門の貴公子は、さながらハムレットの「こんな
時代に生まれ合わせられ、その立て直しを担わせられるとは」という悲哀を味わっていました。
ともかくエゼキエル書18 章2 節「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く」というこ
とをいやというほど噛みしめていたのです。
混迷、屈辱、挫折、苦悩の中を、当てどもなく歩んでいることに加えて、エゼキエルは愛す
る妻に死別したのです。

 エゼキエル書24 章18 節「その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻
が死んだ」。

これがエゼキエルの立たせられた場でした。
こうした絶対的状況の中で、彼は幻を見せられたのです。エゼキエルは、最も絶望的な状況にありながら、かえって、それ故に、死人の甦りを幻に見た人です。

 リビングライフより
| 書きとめておきたい言葉 | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
このことはわたしから来た

 このことはわたしから来た



 わたしの子よ。あなたは、あなたを苦しめるもの、またわたしを苦しめることを、考えたことがあるか。

 わたしの子よ。もしあなたが周囲にたくさん、試みを持っているならば、それはわたしから来たということを、知ってください。あなたの弱さは、わたしの強さを必要としている。

 わたしの子よ。あなたは、困難とむつかしい環境の中にいますか。それは、わたしから来たのだ。わたしは、環境の主です。あなたの環境やまわりの人々は、彼らのやりたいことを、することができません。彼らは、わたしの心を、行なわなければならない。

 わたしの子よ。あなたは、金銭的な苦しみのうちにありますか。それをきりぬけることは、むつかしいのですか。それも、わたしから来たということを知りなさい。
わたしは、あなたのお金に責任を持っている。ただわたしは、あなたがわたしの方へ来ることを、わたしに頼ることを願っています。わたしの約束が、真理であることを、あなたに証明したい。

 わたしの子よ。あなたは生活の暗闇をいけますか。それは、わたしから出たのです。わたしは苦しみの人として、困難を知っている。あなたがわたしの方へ、来るようになるために、わたしがそれをそうさせたのです。

 わたしの子よ。あなたは自分の友に失望しましたか。それは、わたしから来たのです。わたしが、あなたの最良の友であることを知るために、あなたは友に失望したのです。

 あなたの計画は覆りましたか。あなたは悲観し、疲れましたか。それもわたしから、来たのです。あなたは自分で計画し、そのあとで「祝福してください。」と、祈った。しかしわたしは、自分で計画したい。そうすれば、わたしはその責任をとります。

 あなたは、わたしのために働きたいと願った。しかし、あなたは今、病気だ。それも、わたしから来たのです。あなたが忙しかったとき、わたしはあなたに話すことができなかった。しかしわたしは、わたしの秘密を語りたい。あなたは、わたしのそばにいる祈る人となりなさい。多分あなたは、むつかしい使命を、負わされたかもしれません。それも、わたしから来たのです。あなたは、わたしに頼ってください。

 わたしの子よ。わたしの声を聞きますか。わたしである。それは、わたしから出たのです。しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない。


というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

ローマ11:36

| 書きとめておきたい言葉 | 08:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
試練の時 あるドイツ婦人の祈り




あなたの憂いをすべて主にゆだねよ
主はあなたにかわり配慮される

あなたの家族のための憂いを 
われらの信ずる主にゆだねよ
あなたはいたずらに策を案じ考えるだけだ
しかし、主には行く道と将来が開かれてある

主は心配を嫌うが
あなたがささげる天に向かっての祈りは 喜んで聞き給う
あなたがやっとひとつの策を立てる間に
主は千もの策を持っておられる

何人も勝手気ままに あなたを害することのないように
主はあなたへの恵みのために 
みんなの心を 
小川のように導かれる

主の御手から苦しみも喜びも 
安んじて受け 
ひるんではならない
主はあなたの運命を すぐにも変えられる
しかし、それを悪くするのは 
あなたの嘆きだ

いたずらにあなたを苦しめるために 
苦難が与えられたのではない
信じなさい
まことの生命は 
悲しみの日に植えられることを

| 書きとめておきたい言葉 | 07:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
神なしでは

 「私は神なしでは生きられません。

神は私なしでは生きられません」


(ジョージ・カッティングが英国訪問中のウォッチマン・ニーに語った言葉)

| 書きとめておきたい言葉 | 21:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
幕の内側で

 「 幕の内側 」でこの愛すべき方をあなたの分とし

あなたの主の神秘に中にとどまりなさい

あなたの顔が主の栄光を映し、あなたの人生が主の愛で満たされるまで

あなたの口が主への賛美を語り告げるまで

主を見つめなさい


「 幕の内側 」であなたの霊は深く錨を下ろし

あなたは争いの世を超越して 静かに歩みます

「 幕の内側 」で あなたの魂は主と結ばれ

あなたは地上で主の復活のいのちを生きます


 フレダ ハンバリー アレン

| 書きとめておきたい言葉 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
『 私 』

 『 私 』

それは最上の席、最高の地位を自分のために要求するこの上ない横暴な存在である

そして、もしその要求が入れられなければ、ひどく傷つけられたように感じるのである。

キリスト者の働き人の間に起こる争いの大部分は、この巨大な 『 私 』のやかましい叫び声から起こる。

最も低い場所に席を占めることの真の奥義を悟っている人は、私たちのうちになんと少ないことだろうか


           Mrs.Smith

| 書きとめておきたい言葉 | 06:54 | comments(0) | trackbacks(0) |