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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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Amazing Grace わたしの罪、咎 あなたは自由に
驚くばかりの恵みなりき
この身の穢れの知れる我に。
 
恵みは我が身の恐れを消し
まかする心を起こさせたり。
 
危険をも罠をもさけえたるは
恵みの御業と言う他なし。
 
私の罪とがあなたは自由に
限りのない愛あふれる恵みよ

御国に着く朝いよよ高く
恵みの御神をたたえまつらん
 
私の罪とがあなたは自由に
限りのない愛あふれる恵みよ

私の罪とがあなたは自由に
限りのない愛あふれる恵みよ




 
  私の罪 咎 ・・あなたは自由に〜

 この賛美を聞きながら 十字架を思う

 私の罪 咎 と、主は本来は私のものであった罪と咎を

 ご自身の罪、咎とされた。

 あなたの、とは言われなかった。

 また、あなたに代わって負ってあげようとも言われなかった。

 主は、わたしの、と言われる そこに距離はない。

 あなたの罪とがを背負ったとは言われず、

 わたしの罪、咎として十字架に背負ってくださった

 御手から差し出された愛が

 「あなたは自由に〜」という詩とともに

 心の淵、その隅々に至るまで流れ込んで

 恵みの深さに涙する

 
 そして、

 自分の十字架を負うことの意味を思う。

 
それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。

 

 日々、自分の十字架を負って・・

 主は私のすべての罪、咎を「ご自分のもの」として背負われたのである

 「自分のもの」として背負われた

 そこに鍵がある。

 「わたしのためにいのちを失う」=

 それがイエス様が負われた真の十字架

 =「自分の十字架」である

 主は、主と私という区別を捨て(ご自分を空しくし、死に至るまで、十字架の死に至るまでご自分を捨てて下さった)ピリピ2:4〜

そして、私の一切を、全くご自分のものとして、その身に負ってくださったのだ

 
 もっと言えば、ご自分と一つとしてくださったのだ。

 使途の働きでは主はサウロに向かってこのように語られている。

 パウロは見ゆるところは、直接イエス様を迫害しているわけではなかった。

 その道を信じる者たちを迫害していた

 しかし主は、ここで、わたしを、と、あなたが迫害しているのはわたしだ。と語られている。

 
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。



 
 以前、主人が抗がん剤の治療を受けているとき

 主は、主人のことを語ってくださった。

 「わたしのために祈っていただけませんか?」と。

 あなたのご主人のために祈りなさい、ではなく、

 わたしのために・・と言われたのだ

 あまりの主の深い愛に、声をあげて泣いたことを今でも、

そしてこれからもずっと忘れることはない。

 イエスご自身が、まず、父なる神の御前に

 ご自分を捨てて、日々、ご自分の十字架を負って、

 御父に従われたのだ

 ご自分の救いに与る者が

 足跡に従ってゆくことができるように・・・

 
  わたしの罪、咎 そして、 あなたは自由に・・

 与えられた自由の内に 

 主が背負われた足跡に・・

 「自分の十字架」を 背負ってついてゆく


 わたし(主)のためにいのちを失う十字架を御前に背負うとき

 それを得る のだから。

 限りのない愛 溢れる恵みよ!! 
  

 
おのおのが自分自身のこと〔ばかり〕にでなく、むしろ他人のことに[も]それぞれに注目しながら〔同じことを思い抱くためである〕。

このことを、すなわちキリスト・イエスにおいても〔妥当すること〕を、あなたがたのうちにあって思い抱きなさい。

キリストは神の形のうちにあったが、

神と等しくあることを

固守すべきものとはみなさず、

むしろ己れ自身を空しくした、

奴隷の形をとりつつ。

さらに人間と似た者になりつつ、

人間としての姿において現れつつ、

己れ自身を低くした、

死に至るまで従順になりつつ、

しかも十字架の死に〔至るまでも〕。

 ピリピ2:4〜
  

 

 
 

 

 

 
| 賛美 | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
花も


1、ここに泉はわく  涙を過ぎる時
やがて 実を結び   笑い声に満ちる

花も 雲も 風も 大海も
かなでよう かなでよう イエスを
空に響け 歌え 魂よ  
恵みを 恵みを 恵みを


2、仰げ 天は開き  ぼくらは 見るだろう
やがて 花は咲き 栄光の主がこられる

花も 雲も 風も 大海も
 かなでよう 奏でよう イエスを 

空に 響け 歌え 魂よ 
恵みを 恵みを 恵みを 

| 賛美 | 22:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
共に礼拝ささげ



  神様 私を生きる者に変えて

 霊と真で 礼拝ささげる者として

 
 神様 私を生きる者に変えて

 霊と真の 心を感謝する者として

  
     人生が礼拝で  礼拝を人生として

     死にゆく者を 主に仕える者として

        共に礼拝ささげ


   
   神様 私を生きる者に変えて

   霊と真で 礼拝ささげる者として
 
   神様 私を生きる者に変えて

   霊と真の 心を感謝する者として
  
     人生が礼拝で  礼拝を人生として

     死にゆく者を 共に賛美す者として
 
     共に礼拝ささげ

    
  人生が礼拝で 礼拝を人生として

  死にゆく者を 主に仕える者として

  共に礼拝ささげ

  共に礼拝ささげ
 
  
 
    
    
| 賛美 | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国の獄中で殉教したある伝道者の詩




 もしもほんの少しだけ

 義の道から離れたなら

 私はすぐに楽になれる

 この苦しみ取り去られるのだろう

 
 もしもほんの少しだけ

 十字架から目を離せば

 わたしはすぐに楽になる

 この痛みも取り去られるのだろう

  だけど私は 主キリストを覚える

  このお方がどれほど

    忠実に苦難を忍ばれたかを

  わたしはもう この世のものではない

  あらゆるかかわりは 解けたから

  たとえこの道 狭くて苦しくても

  私はこの地では

  旅人でありたい



       もしもほんの少しだけ

       神の言葉偽ったなら

       私はすぐに楽になる

   この孤独も取り去られるのだろう

    だけど私は主キリストを覚える
    
  このお方がどれほど

   いのちを省みずに愛されたかを

     わたしはもうこの世のものではない

     あらゆる関わりは解けたから
 
     たといこの道 苦しく狭くとも

     私はこの地では 旅人でありたい

  
     人が私を冷たく笑っても

     私はキリストの微笑みだけを
  
     よくやった忠実な我が僕よ

     そのお言葉だけを

     たとえ命を奪われたとしても

     私はキリストの微笑だけを

     よくやった忠実な我が僕よ

     そのお言葉だけを

     求めてゆきたい

     求めてゆきたい


  
      
| 賛美 | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
足跡



「足跡」
詩・曲 野中宏樹

たとえば私が 歩けなくなっても
私を背負って ともに歩いてくれる

たとえば私が 道を外れても
私とともにいて そこを歩いてくれる

ともに生きる喜び かみ締めながら歩いてゆく
わたしのそばにはいつも もう一つの足跡

たとえば私が 涙を流す時
ともに涙流し 悲しんでくれる

たとえば私が 独りになっても
私を慰め 励ましてくれる

ともに生きる喜び かみ締めながら歩いてゆく
わたしのそばにはいつも もう一つの足跡

イエス様とともに 歩き出す時に
あなたも気づくでしょう もう一つの足跡

砂の上に続く 二人の足跡は
あなたとイエス様の 足跡なのです

ともに生きる喜び かみ締めながら歩いてゆく
わたしのそばにはいつも もう一つの足跡

ともに生きる喜び かみ締めながら歩いてゆく
わたしのそばにはいつも もう一つの足跡

わたしのそばにはいつも もう一つの足跡


| 賛美 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
piano worship


| 賛美 | 08:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
わたしたちのこの口は
 


 アーメン 


 
| 賛美 | 17:39 | comments(2) | trackbacks(0) |
神の充満の中で・・
 聖歌の中で 「沖へいでよ」 という賛美がある

 この賛美を作詞したのは A・Bシンプソン 

 
 原詩には 日本語に訳された歌詞の中には表されていない言葉がある

 「沖へ漕ぎいでてみよや」 となっているが、

 「 神の充満の中で失わせたまえ 」 というのが本来の意味である

 そして、折り返しの部分

 「沖へいでよ 岸を離れ 

 主の恵みのただ中へ いざ漕ぎ出てよ」

 
 ここは

 「おぉ、私たちが知っている 彼の充満の真ん中まで

 神の慈しみの中で 私たちを失ってください」

 
 キリストの中に自らを失うことの大いなる祝福を

 シンプソンは「私たちは知っている」と歌い、

 さらに失わせて下さいと 賛美しているのだ!

 キリストのうちに 失うことは 得ることである。

 しかし、なんと多くのキリスト者が

 得よう、得ようともがいていることだろう

 得ようとすればするほど、いのちをを失うのである

 沖へいでよ、とは、 神の満ち満ちたいのちの中に、

 岸と表現された
自分のいのちを失うことである


 「 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、

 わたしのために自分のいのちを失ったものはそれを自分のものとします。」 

 マタイ10:39  

 
 

 

   
| 賛美 | 07:10 | comments(6) | trackbacks(0) |
主の山に備えあり


 「主の山に備えあり」 

 
 主の山に備えあり 全ては主の御手に

 必要の全てを 主は満たしてくれる

 心を騒がせず 信頼せよ

 苦しみの淵から 助けられるから

 主の山に備えあり

 全ては主の御手に

 必要の全てを 主は満たしてくれる



  創世記22章1〜14節

 これらのことの後で、神はアブラハムを試された。


 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。


 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」


 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。


 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。


 「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」


 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った、二人は一緒に歩いて行った。


 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。


 「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」


 アブラハムは答えた。


 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。


 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。


 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。


 「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」


 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。


 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)と言っている。





| 賛美 | 06:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
主イエスこそわが望み
「 主イエスこそわが望み」


主イエスこそ わが望み、
  わがあこがれ、わが歌。

  昼も夜も みちびく
  わが光、わが力。
 
 主イエスこそ わがつるぎ。
  わが喜び、わが盾。
  ただ主こそが わが神、
  わが宝、わがすべて。

 こころみの世にありて
  罪の力、死のやみ
  とり囲みて 迫れど
  なお主こそ、わが望み。
 
| 賛美 | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) |