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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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赤い雌牛の灰

「もしやぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけるとそれが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

 ましてキリストの傷のないご自身をとこしえの御霊によって神におささげになった血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とするでしょう。」

   へブル9:13,14

 
 13節の雌牛の灰

 これは民数記19章にそのことが詳しく書かれてあります。

 今日触れたニーのメッセージで、はじめて雌牛の灰の意味を知りました。

 聖書の中でのささげものはみな雄牛や雄羊ですがここは例外。雌牛なのです。

 そして聖書では性にはそれ相当の意義があり、真理と証に属するものはみな男性によって代表され、経験といのちについて語る者はみな女性によって象徴されるそうです。

 赤い雌牛は屠殺された後、その血が会見の幕屋の前に向かって七度振り掛けられました。これは神に血がささげられたことを示します。

 「その雌牛は彼の目の前で焼け。その皮、肉、血と汚物とともに焼かなければならない」5節

雌牛全体が焼かれます。

 「祭司は杉の木とヒソプと、緋色の糸をとり、それを雌牛の焼けている中に投げ入れる」6節

 杉の木とヒソプとはこの世。全宇宙を代表するそうです。

 つまり、象徴的に全世界が赤い雌牛とともに焼かれたのです。

 緋色はイザヤ書に「たといあなたがたの罪が緋のように赤くても」とあるように、私たちの罪を代表しています。

 言い換えれば、全世界の罪が、神にささげられたこの雌牛とともに焼き尽くされたのです。

 この予型において私たちは十字架の描写を見ます。彼はご自身とともに十字架へと私たちのすべての罪、全世界の罪を道ずれにしました。大きな罪、小さな罪、昨日のつみ、今日の罪、明日の罪、みな含まれています

 さて、いよいよ雌牛の灰です。

 灰は焼いた後にのこるもの。赤い雌牛が焼かれて灰にされ集められて保存されました。(民数記19:9)

保存された灰は、イスラエルの人たちが汚れた物に触れて罪を犯したとき、彼の上に注いでくれる祭司のところに行って罪を清めてもらうために取っておかれたのです。将来の日の多くの汚れを清めるためのものなのです

聖書において灰は、物質の基本単位として用いられています。灰は最終的な形態の単位であり、それ以上還元されない単位です。それは不変であり、不朽です。それらはさびたり、腐敗したりしません。それは最も持続するものであり、究極的です。赤い雌牛が焼かれて灰になることによって、予型された主のあがないの御わざは恒久的な、不変的な状態を啓示します。

主が私たちのために備えてくださったあがないは変わり得ず、汚れえず、朽ち得ないこと

雌牛の肉、皮、血は腐敗しますが、それらが灰になったら腐敗しません。それゆえ、私たちの購いは永遠に有効なのです。

「赤い雌牛の灰は将来のためと同様に今日用いられるため完成された十字架上のみわざを代表しています。私たちは、赤い雌牛は一度焼かれて灰となって、私たちの生涯にわたるすべての必要のために十分であると、宣言します。主イエスの購いが十分であると宣言します。主イエスの購いが十全であることのゆえに神に感謝します。私たちはよりいっそう彼の死が、真にわたしたちのすべての罪を償うものであるのを見るにいたります」

   ウオッチマン・ニー

これが 「雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが清めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば・・・」の意味です

 被造物である、雌牛の灰ですらそのような働きがなされたとすれば

「キリストが傷のないご自身をとこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて、死んだ行いから離れさせ、生ける神につかえるものとすることでしょう」

という御言葉が力強く迫ってくるのです。

 ハレルヤ!

| ウオッチマン・ニー | 22:44 | comments(4) | trackbacks(0) |
キリストの香りが

あなたが真に苦しみを味わった人
〜主とともにあって自らの限界に行き詰まる経験を主とともに通り、神に「用いられる」ために、自由の身になろうとする代わりに、喜んで主の「囚人」となり、ただ主にのみ満足を発見することを学んだ人〜
に出会う時にはいつも、すぐさまあなたは何ものかに気づきます。その時、直ちにあなたの霊的感覚は、キリストの芳香を感じます。…  

  神がこの地上に私たちを置かれる第一の目的は、人々の心の中に神に対する渇きを起こさせるということです。          
                

 何よりもまず、自分に欠けたものがあるとの意識が生じてはじめて、真のみわざがその人の生涯の中で開始されるのです。それはどのようにしてなされるのでしょうか。私たちは強制的に霊的欲求を植え付けることはできません。私たちは人々に空腹を強制するわけにはいきません。          


 飢え渇きは、造られるべきものです。
そしてその渇きは、神の印象をたずさえている人によってのみ
他の人の内に造られるのです。



ウォッチマン・二ー

| ウオッチマン・ニー | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
従属の場
  • 十字架を徹底的に理解することのみが

     私たちを主イエス御自身が進んで取られた

    従属の場にまで伴い行くことができるからです


    ウオッチマン・ニー


     
| ウオッチマン・ニー | 23:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
御霊にあって生きるということ

御霊にあって生きるとは、 自分自身ではなし得ないことを、わたしの内において御霊がなしてくださるために
御霊により頼むことです。

 主から新しい要求を受けるたびに、主が求めておられることを彼がわたしの内になしてくださるために私は主を仰ぐのです。

それは努力ではなく、信頼です。苦しみあがくのではなく、彼にあって安息することです。

もし私が、せっかちな気持ちや、汚れた考えや、軽率な言葉や、批判的な心の持ち主であるなら
自己を変えようという努力を始めることをしないでありましょう。

そうではなく、自分がこのようなことに対して、キリストにあって死んだものであることを認め、神の御霊が、私に欠けている潔さ、謙遜、柔和をつくり出してくださるために、御霊を仰ぐのです。これが次のように言われている意味なのです。

 「かたく立って、主が・・・・あなたがたのためになされる救を見なさい。
出エジプト 14:13



 ウォッチマン・ニー

| ウオッチマン・ニー | 07:19 | comments(2) | trackbacks(0) |
十字架と復活

「十字架は、『古き人』を全く取り除くことによって、

『古きもの』に終わりをもたらす神の手段であり、

復活は、私たちが新しい世界に生きるために必要なすべてのもの

を与えるための神の手段です。」

ウォッチマン・二ー

| ウオッチマン・ニー | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
キリストを仰ぐこと
  1. 「自分のうちを見れば、自分が罪について活発に生きていることを知ります

    しかしもしキリストを仰げば、神はわたしのうちで死が働き、しかも同時に

    「あたらしいいのち」がわたしたちのものとなるようにしてくださるのです」


    ウォッチマン・ニー



     「わたしがあなたにすることができないだろうか」と先日主が語ってくださったエレミヤ書の言葉を思い出した。
    ただキリストに目を向けることが、主ご自身が成し遂げてくださった御わざの中へ、羊を導く羊飼いのようにたえず連れて行ってくださるのだ。

    「 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい 」

     アーメンです
| ウオッチマン・ニー | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |