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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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素敵な出会い

 主は素晴らしいです!皆様!!

 素敵な出会いを主は備えてくださいました。

 実は先日、ウオッチマン・ニーをいろいろとPCで検索していた所、あるブログに導かれました。

 内容を読んで、「??こんな人がいる!!!}

 とにかく嬉しくなってしまいました。

 十字架を分かち合える兄弟姉妹の存在は
なんて励まされるのでしょう!!

 教えられることがとても沢山あり、とても励まされています。

 十字架の交わりが豊かな流れとなって広がってゆきますように!!!


   クマ郎さんのブログ

http://8125150.seesaa.net/ 
 
 いのちパン まことの食物
   

以下はクマ郎さんのブログより



「私たちは毎日、食事をすることによって食べ物から命を頂いて生きている。食べ物、飲み物がなければ人は生きていくことができない。

聖書はイエス・キリストが「まことの食物」「まことの飲み物」であるとしている。

わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。(ヨハネ6:51)

まことの食物であるイエスは、罪によって死んでいた私たちに「復活のいのち」を与えるために天から下って来られた。

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。

生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。

これは、天から下って来たパンです。あなたがたの先祖が食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます(ヨハネ6:53〜58)


まことの食物であるイエスは、肉であると同時にパンである。
私たちの罪を取り除くための小羊(肉)として来られ、十字架で焼かれた。そして三日目に復活の初穂(麦=パン)としてよみがえられた。

私たちが永遠のいのち(パン)を得たのは、罪を取り除く小羊(肉)としてのイエスを食べ、血を飲んだからである。イエスの死にあずかる者は彼のよみがえりのいのちによって生きるようになるのである。

クリスチャンになった後も、彼の肉を食べ続けること、すなわち、イエスの死にとどまり続けることが私たちに求められている。

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。(ローマ6:4〜5)


イエスの死にとどまる道が、復活のキリストというパンを食べて生きていく唯一の道となる。

私たちがこの道をゆくならば、私たち自身がパンとなって、この世や周囲の兄弟姉妹に復活のキリストのいのちを与える存在となる。

私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。(競灰螢鵐硲粥В隠院腺隠押


神が私たちに求めらておられるのは、私たち自身が食物となって周囲にいのちを与えることである。

私たちの生臭い天然の命は、肉なるキリストが焼かれた十字架の火によって焼き尽くされなければならない。もし私たちがこのことを避けるならば、私たちは周囲に提供するものを何も持たない。

私たちはただ生臭い腐敗臭を放つ「食えない」存在となり、私たちの集まるところには“空の鳥”が群がってくることになるであろう。(マタイ13:31〜2)

しかし私たちが生臭い自分自身を十字架の火の中に置くならば、私たちは香ばしい香りを放つパンとなる。自分が生きるだけではなく、周囲をも生かすことのできる存在となるのだ。これがクリスチャンがこの世に存在している理由であろう。

しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」(マタイ14:16)

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。

主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に全財産を任せるようになります。(マタイ24:44〜47)


単に正しく聖書のことばを語るだけでは足りない。食べなかったマナが悪臭を放ったように、私たちがキリストを食べることなく語った聖書のことばは悪臭を放つ。キリストの死を食べることによって、私たち自身が食べることのできるパンとならなけばならない。

そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。
「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」(ヨハネ6:60)


説教やメッセージが不足しているのではない。イエスの肉を食べてパンとなる道を歩むクリスチャンが圧倒的に不足しているのだ。」


 

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