SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
フラワー

動物をクリックしてみてね^^
SPONSORED LINKS

11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
<< 恐れを静めてくださる主 | main | 大切な愛 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
賛美の外套



暗くてはっきり見えませんが病室からの眺めです

名大に入院していた時はお隣が鶴舞公園でしたから素敵な眺めでしたが…♪

今日は手術後の傷口の抜糸が済みようやく首が動かしやすくなりました。

明日は透析をして午後3時前後には退院できる予定です。

本当に皆様のお祈りありがとうございました。

何から書いていいのか…
今はただ主の愛と恵みが波のように押し寄せて来て
涙が溢れて止まらない夜です。

今回の入院は私自身が取り扱われ、主の対処を受けることとなりました。もちろん家族も…

ペヌエルの出来事のように
ヤコブが内に持っていたものと同じ、内にある恐れです。

予後の説明をする医師の言葉は鋭く私の内を貫き、隠れていた、いえ、私自身が蓋をしていた恐れを火によってあぶり出すかのようにして、光のもとにさらけ出されたのです。

私は病室で一人静かに主の前に…耳をすませるようにして向かいました

『恐れるな…』

というお言葉とともに

『自分のいのちのことで思い煩うな』

という主の語りかけを深く感じました。

ペヌエルでヤコブは一人に になり、

夜(夜から夜明けまで)

格闘をしました

まるでそこに自分の姿が重なったのです。

病室で一人になるところに連れ出され、
術後の夜は、夜が明けるまで格闘しているかのようでした。

手術は大きくなっていた副甲状腺は神経を取り巻いて癒着していたのでそれを取り除くことが大変だったようで、神経が傷つくまではいかなかったのは幸いでしたが
術後の炎症がひどく、取っても取ってもあふれでてくるタン(汚いお話で済みません)が原因で一晩中むせかえり、
でも傷口が開いてしまう危険があるので無理に出すことができず、喉である関係上、再出血したら、即再手術を行うと言われておりました。

術後にカリウム値が上がったので、その状態のまま透析へ、針が刺さって動けない左腕に、右手は副甲状腺を移植したばかりで動かせず
タンでむせかえる苦しさに、なんとも言えない辛さを感じました

ももつがいを打たれた、かのように、一人ではどうにもならぬ苦痛で長い眠れぬ夜を過ごした

窓から見える景色が明るくなっていくことの、ほっとしてゆく思いは忘れることができません

喉のむせかえりとタン、微熱が続き、食事も水を飲むことも不自由で、飲み込めるというのは幸せなことなんだなぁととつくづく感じた。

そんな夜に内に流れる賛美が、『主イエスこそわが望み』だったのです

ヤコブはあなたはなんと言う名か、
と聞かれるが
ただ単に名前を聞かれたからヤコブと答えたのではない
ヤコブという名は人を押しのけるもの、出し抜く者という意味だ

しかしその意味である名を名乗ることは、自分がそういう者であると認めることになるのだ、
そしてその本性こそ、恐れがヤコブの思い、行動を支配し捕らえている根そのものでした

自らを認め,内にある恐れを取り扱われたヤコブはもうヤコブではありませんでした。

イスラエル「神と戦い、人と戦って 勝った」 のです

不思議な意味です


でも人の知恵では知りうることが出来ない、神と戦って顕にされるものであり、
私の弱さ愚かさの内に現れてくださる主を真実に知らされるのだ

1 主イエスこそわが望み

わが憧れ わが歌

昼も夜も導く

わが光 わがちから…

   この歌を自分から主に歌っていると思ってた

   でもそれも信仰のひとつ

   そう願って歌うこともある

しかし、主は十字架によって、私の愚かさ弱さをご自分のものとしてその身に背負い

主は私に、かわりに賛美の外套を着せてくださったのだ

私の弱さと愚かさを嘆くかわりに歌を、そしてその歌の通りにイエスの信仰を移植してくださったのだ


主イエスこそわが剣
わが喜び わがたて
ただ主こそがわが神
わが宝 わがすべて



試みの世にありて
罪の力 死の闇
取り囲みて 迫れど
なお主こそ わが望み

・・にしてくださるのは主の側からそうしてくださるのだ

なんという憐れみ・・

深く感動していると

主人からメールが来た

腎臓ひとつやるでな…と。
私が腎不全になってからはじめて主人がそういってくれた

嬉しくて…その言葉が嬉しくて 病室で声を押さえつつ泣いた。 私は免許証の裏に万が一の時は妻にやってほしいと書いてくれるだけで十分だよ、ありがとう…嬉しい

と返信した。

主人にとってその一言を言うのにどれ程思い悩んだだろうと思った…

娘も、私のひとつあげるといってくれた。当然もらうつもりはないが、

こんなことを思ってくれるほど主は家族の内にさまざまな思いを起こさせ
共に負うといこの愛を深めてくださっていたのだ…

「太陽は彼の上に上ったが、彼はその もものためにびっこをひいていた。」

びっこをひくゆえに神の権威の杖にすがる者とされる

弱いときにこそ強いと言うお言葉が内に受肉し続ける

神の言葉は一度語られると、ことのあるごとに成し遂げられ続けて行くのだ

『真に十字架のキリストを仰いで生きるためには、各自が自分に絶望し挫折して大死一番、その傷口よりキリストの血が注がれるための処置がなされなければならない。これ悔い改めの回心である。
主キリストの血に接がれるためには自己否定の内的転換を要する。すなわち、
一度、我らの古き人が十字架につけられ、キリストのように死んで生きる人間になることである。

十字架のキリストは大死一番、血のしたたる死生の関の自己突破の上で啓示される。しかざらばキリストとともに復活する霊的な新しき生命に歩むことはできないからである。』
T.Y


長い文章を読んでくださり心から感謝します

Candy

     


   

「しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。

 彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。

 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘したが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。

するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」

 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」

 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。

 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。

 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。」


創世記32:22〜31

| | 02:49 | comments(2) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 02:49 | - | - |
コメント
こうじです。
真由美から連絡を受けてこの記事を今朝拝読致しました。
読む前に、浮かんだ言葉は「主の栄光」です。
読後に、浮かんだ言葉も、「主の栄光」です。
鈍い私です、勘違いかもしれないけどこう心に響きました。

色んな困難にある時は、最近思うのですが、愛されている証拠ですね。
我々の些細な私生活にも関心があるお方こそ、我々の主イエスです。

彼の語られた御言葉は決してむなしく終わりませんね。
真由美と共に祈りました。

イザヤ55章
8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―

9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。

11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

12 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。

13 いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」
| Koji Ito | 2014/05/03 10:05 PM |

koji君へ

お祈り心から感謝いたします。

 「主の栄光」そして、イザヤ書の御言葉に心からアーメンです。

 苦難を通してなされる御心が私たちの思いをはるかに超えていることを思わされます。

 主に栄光!ハレルヤです!


 第二コリント4:7〜

「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。  
 

 
| candy | 2014/05/04 10:02 AM |

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://toku-sati.jugem.jp/trackback/913
トラックバック