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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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主を知る恵み
 今日は司会の奉仕の日だった。
私が教会の礼拝で司会をすることになったのはまったくの主の恵み

以前、息子が場面かんもく症(家族以外の人と全く話をすることができない)だったことをブログで書いたことがあったが、
実を言うと、この私こそ、話をすることができず、話をしようとすれば、本当に頭の中はパニックを起すような人間だった。一言話をすることがどれほどのエネルギーが要ったか・・・。

そんな自分だったころ、教会役員になった・・私にとっては本当に一大事だった。

なぜ私のようなものが?と神様に祈るほかどうしようもなかった。
堂々たる役員の顔ぶれ?に私がその場に居ることが場違いのように感じた。

どうして役員なんかに・・そう主に祈る中、

「礼拝の司会をしなさい」

と主が語りかけてくださったように感じた。

役員になったということだけでもとんでもなかったのに、当時、礼拝の司会は牧師、あるいは、月に一度だけ、ベテランの役員の方がされているような状況だっただけに、

私は、それが主のみ声などということが信じられず、このように祈った。

「主よ、私にはできません。本当にわたしにとってとんでもないことです。
しかし、主のみこころでしたら、従います。
ただ、私からしますとは・・どうしてもいえませんので、
本当にあなたのみこころでしたら、しなければいけない状況に
あなたが導いてください」

とずうずうしい祈りをしたことを今でも覚えています。

当然、私からは礼拝の司会のことなど、一言も申し出ることはしませんでした。

ところが、主はすばやく祈りに答えられました。

これからは礼拝の司会を・・・と役員会で話が持ち上がり、あれよあれよと決まってしまったのです。

主のみこころだということがこんなにも鮮やかに示されたことを見、私は逃げようもありませんでした。

話をすることが誰よりも苦手で、まして、人の前にたって・・など、主に全く頼らなくては恐ろしくてとてもできませんでした。

それから何年たったでしょう。

主は一番苦手なところに私を置かれる事を通して、主により頼むこと、弱さの中に働いてくださる主を見せ続けてくださったこと、そして私自身を訓練し、取り扱い、導き続けてくださいました。

 十字架、無力さの内にとどまり、ご自身を信じることを通して

イエスがしてくださることに全く委ねるという実地訓練の場となっています。

何よりも、司会の最中、思ってもよらないときに、イエスご自身を知る恵みに主ご自身が触れさせてくださる感動です。

言うべき事を与えてくださった時、語りながらも私自身が教えられ、励まされるという不思議さ


司会という奉仕を通して、
私が人と話せないという弱さだけではなく、人の目を恐れることに対しても、主のいのちが押し寄せてきて、癒されていました。

ハレルヤ!



 
話が前後するが、私の所属教会は感謝なことに、プログラムどおりに・・という型にはまったことはいっさい押し付けられなかった。

一番初めに、司会をすることが決まったとき、他の役員の方にアドバイスを求めたときこう言ってくださった

 「自由にやってください」

 「え?自由でいいのですか?」

 「ええ、自由に。」

 
 奏楽の関係上、ささげる賛美だけは事前に選びますが、それ以外は本当に自由だった。

これも本当に主の計らいだったことを今でも思う。

 
 「主よ、次はどういたしましょう。」

 と主に聞きながら、一つ一つを進めてゆくのです。

 司会を通して私自身が教えられた唯一のこと。

 主は真実な方であり、恵みに満ちておられる方ということです。


  主がともにいてくださらなければ、一度たりともできません。

 自分の内では恐れがあり、おののきながらも、弱さの内に働いてくださる主に委ねながら、主がしてくださると信じて・・・。



  今日、礼拝の中で

 賛美の「主の前にひざまずき」

 という賛美をささげていたとき、主は心の内に示してくださいました。

 
 ひざをかがめて・・と賛美しました。しかし、本当にひざをかがめてくださったのは主イエスご自身です。

 私たち大人は幼子と話をするとき、その幼子の目線と同じ位置になるためにひざをかがめるように

 天の御位からおりて私たちのところへきてくださったということが・・主の方からまず、ひざをかがめてわたしたちのところにまできてくださったのです。

 主がひざをかがめられ、親しく私たちにその御顔を向けてくださった

 そのことが、一瞬にして思いに広がって深い感動とともに心が震えたのです。

 なんという主のへりくだりでしょう・・・!!

司会という場所、主を近くに感じる、これは本当に恵みです。



 
 
 それでもやっぱり、正直司会の前の1週間は特に、逃げ出したくなります。
 体調が優れないときは特にです。

 今週もえらい時ばかりで、困ったなぁ〜と思っていました。


主のまなざしを霊の内に感じ、
 すべてを手放すところへ導かれます。

 弱さの中におかれることを通して主の祭司としてふさわしいものとされていることを喜びつつ。

 今日、終わったあと、どっと疲れるかなぁ〜と思いきや、いつのまにか疲れも癒されていた。

 主は本当に真実な方です。それを知らされる恵みに導かれる所に居る、私にとってはそれだけです。
| | 22:32 | comments(2) | trackbacks(0) |
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コメント
主御自身が膝をかがめてくださった・・・

朝、素敵な光景に
胸の内を熱くさせて頂きました

感謝

今日も主の恵み豊かに
Candy 姉の内に
満ち溢れますように
シャローム
| 欠けた器 | 2009/08/17 6:54 AM |

おはようございます

わたしは柔和でへりくださっている・・という主のお姿に触れることは喜びですね

そして、このお方を見上げることで、わたしたちの内に新しい主にご性質に与る者とされていることはなんと言う恵み、幸いでしょう

主に欠けた器さんの内におられる主を褒め称えます。
主の愛しみ豊かな恵みが欠けた器さんから溢れ出て多くの人々に流れてゆきますように
| candy | 2009/08/17 8:36 AM |

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