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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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十字架のキリスト
 十字架のキリストは、血のにじむような信仰経験によって、

接神せられるものであって、

現今の一般クリスチャンが安直に信じているが如き教理ではない。

信仰は端的なことであっても、生やさしい事ではない。

真に十字架のキリストを仰いで生きるためには、

各自が自分に絶望し、挫折して大死一番、

その傷口よりキリストの血が注がれるための

処置がなされねばならない。

これ悔改めの回心である。

主キリストの血に接がれるためには、

自己否定の内的転換を要する。

すなわち、一度、我らの古き人が十字架につけられ、

キリストのように死んで生きる人間になることである。

「十字架のキリスト」は決して頭脳の問題でなく、

大死一番、血のしたたる死生の関の自己突破の上で、

啓示される。

しからざれば、キリストと共に

復活する霊的な新しき生命に歩むこともできないからである
(ロマ書6・1〜11)。

言葉の十字架論−空しい言葉の遊戯はやめたがよい。

贖罪がわれらを救わない、

主の贖罪のが救うからである。
 


      〜十字架のキリスト〜より
| 書きとめておきたい言葉 | 06:57 | comments(1) | trackbacks(0) |
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コメント
アーメン アーメン
この場所へ案内して下さる方を求めるなら、只、自分の何にも頼らず求めるなら、主は招いてくださいます。
兄弟姉妹が求めるようにと、私たちが祈ることは出来ますが、他人のための祈りは、腹の底から祈りが湧いてくる時が来るのを待つことも、また必要です。
キリストの完成には、未だ聖徒が揃っていないのでしょうね、主の対処は、あちこちで進んでいます。
記事に納得できなくても、アーメンと口に出して言ってみてください。霊が受け入れたなら、納得せずとも、経験できる日が約束されると思います。
どうか共に、主を楽しみましょう。

| イチゴ | 2013/12/10 2:05 AM |

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