SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
フラワー

動物をクリックしてみてね^^
SPONSORED LINKS

11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
<< 主の山に備えあり | main | お祈り感謝します! >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
神の充満の中で・・
 聖歌の中で 「沖へいでよ」 という賛美がある

 この賛美を作詞したのは A・Bシンプソン 

 
 原詩には 日本語に訳された歌詞の中には表されていない言葉がある

 「沖へ漕ぎいでてみよや」 となっているが、

 「 神の充満の中で失わせたまえ 」 というのが本来の意味である

 そして、折り返しの部分

 「沖へいでよ 岸を離れ 

 主の恵みのただ中へ いざ漕ぎ出てよ」

 
 ここは

 「おぉ、私たちが知っている 彼の充満の真ん中まで

 神の慈しみの中で 私たちを失ってください」

 
 キリストの中に自らを失うことの大いなる祝福を

 シンプソンは「私たちは知っている」と歌い、

 さらに失わせて下さいと 賛美しているのだ!

 キリストのうちに 失うことは 得ることである。

 しかし、なんと多くのキリスト者が

 得よう、得ようともがいていることだろう

 得ようとすればするほど、いのちをを失うのである

 沖へいでよ、とは、 神の満ち満ちたいのちの中に、

 岸と表現された
自分のいのちを失うことである


 「 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、

 わたしのために自分のいのちを失ったものはそれを自分のものとします。」 

 マタイ10:39  

 
 

 

   
| 賛美 | 07:10 | comments(6) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 07:10 | - | - |
コメント
だって失う時は、苦痛と悲しみと絶望の底なし沼に、留め置かれるのだもの・・だから肉の人は「得よう」としてしまう
しかし一度でも知ったなら、「全て失い、その後に現れる神の業を知ったら」シンプソンのように、更に失うことに喜びを持つのですね
今日は私も 体調が どん底!予定を二つ変更して 夕食作りを諦めて一旦布団へ入るとするか・・
神が されてると知ってるので平安だし、言動が大胆になるし(もう失うものが無いからね)、どん底の瞬間に患者友達から電話が入るし、神は素晴らしいです。
どうか主の手が伸ばされた人が、キリストに確実に出会いますように、
また、その人たちの心の自由を妨げるものを、主よ打ち砕いてください

「沖へ!いざ沖へ!」私を守るものが全くない沖へ 出よう・・
ハレルヤ!
| イチゴ | 2013/04/18 6:57 PM |

イチゴねえちゃん

十字架を通して失うことの祝福を知り始める恵みの中へ入れられるのは
ただ、神だけでこれを導いて下さる一方的な恵みですね

その経験が幾重にも折り重なって紡がれてゆくことを通して、自分の思いよりもはるかに高い方に服することを学ぶ(知る)

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」
ヘブル12章11節
主は、そのあがない(十字架の)の愛を「懲らしめ」の中に示される

どうしてこのような愛を人間が理解できましょう。
人には理解できないこと
隠されている(真理)を明らかにして下さる聖霊がすべてを導いてくださる。
聖霊によらなければ誰もイエスを主ですということはできません。と、

イエスを主ですという、これは凄い言葉だなぁ〜と思います。

エゼキエル書にはこんな御言葉があります。

「わたしの民よ。わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げるとき、あなたがたは、私が主であることを知ろう。」
エゼキエル37:13

真に主を知る(イエスを主ですと言う)ことは神ご自身が墓を開き、墓から引き上げて下さることによってです。
死者をも起こされる神を御霊によって知る、これこそ、イエスは主です、と真に告白することであると思わされています。となると、

日々十字架を負ってついて行くことは、十字架を経て墓にも日々行くわけですから、そこを開き、引き上げて下さるお方を知る、イエスを主と告白してゆく歩みでもあるわけですね。 まさに、驚きです!

>どうか主の手が伸ばされた人が、キリストに確実に出会いますように、
また、その人たちの心の自由を妨げるものを、主よ打ち砕いてください

アーメン!
 
沖は果てしなく広いですね!

いざ沖へ!今日もともに出ましょう!
| candy | 2013/04/19 7:36 AM |

[私たちが知っている 彼の充満の真ん中まで
神の慈しみの中で 私たちを失ってください]
心にピッタリくる祈りです。感謝。


| イチゴ | 2013/04/29 10:55 PM |

今日もキリストの中で

失うことの甘さを

知ることができますように!
| candy | 2013/05/01 6:41 AM |

candyさん、こんにちは。
「沖へいでよ」の原詩、知りませんでした。
全くアーメンです。
イエス様の充満の中で自分を失うこと、これ以上の祝福はありませんよね。
得ようともがけばもがくほど自由が失われますしね。。。
ただただ、イエス様だけが現され、私たちがイエス様の中で失われていきますように。。。
さらにさらに沖へ、主の充満の中へと流され、私たちが失われ、イエス様の中に隠されますように。
そこに真の自由がありますしね。
| みのみの | 2013/05/02 2:34 AM |

みのみのさんへ

<さらにさらに沖へ、主の充満の中へと流され、私たちが失われ、イエス様の中に隠されますように。
そこに真の自由がありますしね。

アーメンです!

聖歌の原詩を知ることで
より心込めて賛美できますね!

「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」

というバプテスマのヨハネの言葉を思い出します。

ますますキリストの中で、失われる喜びにともに満たされましょう!!
| candy | 2013/05/02 8:19 PM |

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://toku-sati.jugem.jp/trackback/819
トラックバック