SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
フラワー

動物をクリックしてみてね^^
SPONSORED LINKS

05
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
<< 笑いで満たされ | main | イエス様とともに >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
ザアカイ
 


 毎年この時期になると庄内川でさえずる雲雀の声を耳にする。

 囀りながら高く上がっていくのは、縄張り宣言らしい

 縄張り宣言か・・いいですねぇ

「 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」
  詩篇16:5、6


 測り綱は、いわば、縄張り宣言。主ご自身をゆずりの地、相続地として

 いのちを豊かに掘り起こす、それはただ信仰を通して

 イエスがどういうお方なのかを知ることにある 

 主こそ私の受ける分!!

 

 「さて、彼は、エリコの中に入った後、〔そこを〕通り過ぎようとしていた。

すると見よ、ザカイオスという名で呼ばれていた男がいたが、この彼は徴税人の頭で、彼自身、金持ちであった。

そして彼は、イエスとは何者なの

か見ようとしたが、群衆のためにできなかった。彼の背が低かったからである

そこで前方に走り出て、いちじく桑の木に登り、イエスを見ようとした。彼がまもなくその道を通り過ぎるはずだったからである。

さて、イエスはその場所に来た時、目を上げて彼に対して言った、「ザカイオスよ、急いで降りて来なさい。私は今日、あなたの家に留まることになっているから」。

そこで彼は、急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

すると皆は、〔これを〕見てつぶやき始めて言った、「彼は罪人である男のもとに入り、泊まろうというのだ」。

一方ザカイオスは、立ち上がって主に対して言った、「ご覧下さい、私の財産の半分は、主よ、乞食の者たちに与えます。また、もし私が誰かからゆすり取ったことがあるなら、四倍にして返します」。

なおイエスは彼に対して言った、「今日こそ、この家に救いが来た。なぜなら、彼もまたアブラハムの子だからだ。

実に人の子は、失われたものを探し、救うために来たのだ」。


 
 先日の礼拝で

 ザアカイさんの箇所を示され交読した。

 3節の「彼は、イエスとは何者なのか見ようとした。」

 というところが内側に飛び込んできたからだ。

 いちじく桑の木に登ること

当時、エリコの町には至る所に棕櫚の木が生えていた

さほど高くないいちじく桑の木より、高く伸びた棕櫚の木に登った方が、

主イエスを良く見ることができるのに、

何故、ザアカイは、わざわざいちじく桑の木に登ったのであろうか。

 こんな解説を見つけた。

「いちじく桑の木が出てくる、もう一つの聖書の箇所が引用されています。
それは、旧約聖書アモス書の7章14節です。テコアの預言者アモスは、ベテルの祭司アマツヤの圧迫を受けたとき、こう答えています。

「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」。

アモスは、自分は羊飼いであって、いちじく桑を栽培する者だ、と言っています。

当時、そのままでは渋くて食べられない、いちじく桑の実を甘くするために、実の一つ一つに針を刺し、そこにオリーブ油を塗り込んだそうです。これは、非常に時間と手間のかかる仕事で、貧しい羊飼いの仕事とされていたそうです

普段、棕櫚の木に登る人はいませんが、羊飼いたちは、実を手入れするために、いちじく桑の木に頻繁に登っていたのです。

ですから、ザアカイが登っていても、特に珍しいことではなく、それほど目立たなかった。

それが、ザアカイがわざわざいちじく桑の木に登った理由ではないか」 というものだった。


最も身分の低い者の仕事であったいちじく桑の木に登ることは

たとい、羊飼いと間違われることさえも構わない、それほど、イエスを見たかった、イエスを知りたかった

イエスが自分にとってどのようなお方なのかを知りたかったという必死なザアカイの求めを見る

5節にはさらに心躍らされるイエスの言葉が続く

 「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

 この、「家に泊まる」というお言葉。

 7節の人々の反応のつぶやきの中にも 「宿を取られた」という表現が出てくる。

 家に泊まる、宿泊するという言葉は、

 ヨハネ15章の「とどまる」という意味と同じである

 神の言葉そのものであるお方が、ザアカイの内側に臨まれたのである。

 「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」

 ザアカイのうちにとどまることを望まれた主

 ザアカイは、急いで降りてきて、、そして、大喜びでイエスを迎えたのだ!!

 最も貧しい羊飼いの仕事をしていると間違えられても構わないほど、

 彼はへりくだって主を求め、イエスのお言葉を喜んで受け入れたのである。

 
 
  「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
   ローマ10:17
 

 
 このザアカイの必死な求めはただ、イエスがどのような方であるのかを知りたいと願った。

 彼はイエスの言葉を聞いて、

 「主よ!」

 と告白したのだ!

 なんという変化であろう!


 このザアカイの記事はまるで、これから救われる人々に対して語られているかのように

 読む傾向がないであろうか。

 紙芝居で子供たちに読み聞かせ、なんどこの話に触れただろう。

 読まなくってもわかっている・・みたいに思われがちな箇所だ。

 しかし、イエスがどのようなお方かを見ようと、ただそのことのために

 なりふり構わずへりくだって求める姿は、強烈に心に迫った。

  生ける言葉との生き生きとした関係の中に、イエスは招いてくださっている

 生ける神の言葉は、内側で死からいのちへと移す力があるものだ。

 ザアカイは、

 8節 「主よ、ご覧下さい。 私の財産の半分を貧しい人たちに施します。

 また、だれからでも、私がだまし取った物は、4倍にして返します」

「主よ、ご覧下さい!」 なんという応答だろう!


 主を知るということは、このようなことなのだ!!

 
 「きょう、救いがこの家に来ました。」 ルカ19:9

 「きょう、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」
 
         ルカ2:11

 羊飼いに語られた御使いの言葉が

 イエス様のお言葉と重なります。それは

 羊飼いのように身を低くして求めたザアカイに

 イエス様がザアカイの思いの全てをご存知で

 語ってくださったことを思わされます。

 主は本当に素晴らしい!
 
 

 

| 御言葉の分かち合い | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 07:58 | - | - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://toku-sati.jugem.jp/trackback/808
トラックバック