SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
フラワー

動物をクリックしてみてね^^
SPONSORED LINKS

08
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
<< ちょっと一休み | main | 交わり >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
真の姿は隠せない
  一人の兄弟が聖霊について話しているとします。彼の題目は聖霊でありますが、彼の言葉、彼の態度、彼の例話の隅々まで彼自身があふれています。どういうわけかわからなくても、聴衆は彼の話を聞いていると苦痛を覚えます。
彼の口は聖霊でいっぱいですが、彼が聴衆に与える印象は彼自身です。このような空虚な話にどんな霊的価値があるというのでしょう。少しもありません。

道理を強調するよりは、私たちから出てくるものが何であるかということにもっと重点を置きましょう。

神は私たちの道理が進んだかどうかということには注意をはらっておられません。
神は私たちひとりびとりを対処することを願っておられるのです。もしわたしたちの本来与えられている性質が十分に対処されていないなら、私たちはいわゆる霊的な道理を教えることはできても、人に霊的な印象を与えることはできないのです。私たちがただ外なる人の印象だけを与えて、内なる人に、いのちの印象を少しも与えることがないということは、なんとあわれなことでしょう。

何度も何度も神は私たちの環境を按排して、私たちの頑迷な点を砕こうとされます。あなたは一度ならず、二度も打たれたかもしれません。さらに3度の打撃が必要です。
神はあなたを放されません。神はあなたの頑強な点を砕くまで手を休められません。

聖霊が管理よって私たちの身に成就することは、私たちがメッセージを聞いているときに起こることとは全く違っています。私たちが聞くメッセージは多くのとき数ヶ月、あるいは数年も心に残っていて、それからようやくわたしたちの身に効力を発するものです。

このように聞くことが先になっていて、真のいのちに入ることが後になることが多いのです。しかしながら、聖霊の管理では、私たちが真理を見ることと真理を得ることとは同時なのです。
私たちがメッセージを聞いて、知識だけ得ることでは素早くても、管理によって実際を学ぶことでは遅々として進まないというのは、なんとおかしなことでしょう。
一度聞けば私たちは記憶してしまいますが、しかし十度管理を受けてもまだわからないのです。

管理がその目的を達成する日は、あなたが真に真理を(見て)、その実際に入る日であります。

ですから、聖霊の働きは一方ではあなたを取り壊し、もう一方では、あなたを建造することなのです。

こうしてあなたは心から、

 「主よ、感謝します。この5年間、十年間あなたのみ手が私の上にあって管理してくださったのは、ただ、わたしのこの頑強な点を砕くためであったことが、今わかりました。」
 
 というでしょう。

                  W・ニー
 
 

 全くアーメンです。

 私たちの口がどれほどに真理を語っているように聞こえても、いえ、真理の言葉が並べられていても、内にアーメンがないことがある。
外なる人がコテコテにまとわりついて出てくるんですね。

真に神からの対処を受ける、それが私たちにとってどれほどに必要なことでしょうか。

知識だけを得ることに素早くて、管理によって(聖霊の対処)その実際を学ぶことが、遅々として進まないというのは、なんとおかしなことでしょう・・というニーの言葉は本当に的を得ています。

これは、キリスト教界だけではなく、確かに真理について聞いている、学んでいる(私自身も)クリスチャンすべてに言えることです。

いのちの言葉が口からあふれ出ていたとしても、その実際を知らないことがある、その人から流れてくる真実にふれ、内なるいのちは決してアーメンと応答しません。どんなに道理が正しく聞こえてもです。

ニーの言葉を読んでいたら、いのちの実際を神から学んだ姉妹がキリスト教会でいろいろな話(証やメッセージその他)を聞いて、こんなことをよく話してくださったことを思い出します。

 「なぜだかわからないけど、聞いていると気持ちが悪くなる。」

それを聞いていた私自身もその当時は、本当の意味で理由がわかっていなかった。

 人のうちからあふれ出るもの、よいものであっても悪いものであっても、その印象は隠すことも、言葉でごまかすことも決してできないのだということです。

 バプテスマのヨハネの言葉

「 あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」

 あなたの外なる人は、聖霊の管理のもとに真に服し続けていますか?、

 
| ウオッチマン・ニー | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 06:59 | - | - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://toku-sati.jugem.jp/trackback/72
トラックバック