SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
フラワー

動物をクリックしてみてね^^
SPONSORED LINKS

11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
<< 嬉しいよ〜〜 | main | ノリノリで >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
しばらくするとわたしを見る

  しばらくするとあなたがたは、もはやわたしを見なくなります。しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」

そこで、弟子たちのうちのある者は互いに言った。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る。』また『わたしは父のもとに行くからだ。』と主が言われるのは、どういうことなのだろう。」

 そこで、彼らは「しばらくすると、と主が言われるのは何のことだろうか。私たちには主の言われることがわからない。」と言った。

イエスは、彼らが質問したがっていることを知って、彼らに言われた。「『しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る。』とわたしが言ったことについて、互いに論じ合っているのですか。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。

 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。

 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。

あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」

                 ヨハネ16:16〜



 この聖書の箇所は、間もなくイエスが十字架の上で死なれること

「しかし、またしばらくするとわたしを見ます。」とは、

イエスが死からよみがえられて、再び弟子たちと会うこと

そして、「わたしは父のもとに行く」とは、

イエスが昇天され、

父の右に着座されることを表している言葉である。

あぁ、ここは、イエス様の十字架の死と復活、および昇天の事を言っているのだな・・とまるで理解したかのように、読み流してしまう箇所ではないだろうか。

しかし、

 この御言葉こそ、十字架を負って主についてゆくことがリアルに描き出されているように思った。

 十字架を日々負うということは、日々死ぬことを意味する。

 正直、十字架を負うことは肉にとっては痛みであり、苦しく、辛いことだ

 死に囚われたような状態なのだから、 もう手も足もでない。身動きすらとれず

 全くの無力さの中に座らされる

 それはまるで、「あなたがたは、もはやわたしを見なくなる」と主が言われたお言葉のように、

 わたしのこの目に、力強い主の臨在すら消えてしまったのではないかと錯覚してしまうような

 しばらくは全てを失ってしまったような不安定さの中に置かれる


 しかし、時が満ち

 
「しばらくすると、わたしを見ることになる。」 という復活のお約束が

 現実の只中に起きる事を知った。

 しばらく御顔が隠されていたかのような状態(死)から、突然、いのちへと移され

主の慈しみ深い御顔を見る(主である事を知る)のだ。

 その事を分かりやすく、主は出産の苦しみと喜びに例えられた。

「女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。

しかし、子を産んでしまうと、

ひとりの人が世に生まれた喜びのために、

もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。


 あなた方にも今は悲しみがある。だが、

再びわたしはあなた方を見て、

あなた方の心は喜ぶこととなり、

そのあなた方の喜びをあなた方から奪うものは誰もいない。」

 と語られた。

 世にあって確かに苦しみがある。十字架の死を通らなければならないような痛みがある。

 陣痛がきた女のように、あまりの痛みと辛さのゆえに、しばらくは主を見ることすら困難であろう。


しかし、  「しばらくすると、わたしを見る」と語ってくださっていることはなんという素晴らしい希望、

 復活の望みなのだ!

悲しみから喜びへ、死からいのちへ、

いのちへと移された喜びはもはや誰も奪うことが出来ない、とすら、お約束してくださっているのだ。

 それだけではない。

 主は昇天されたのだ。つまり、神の右の座に着座されたのだ。

 それは主が完全に勝利したことの証である。イエスの御名によって求めることが出来るのは、

 イエスの御名が、全ての名にまさる名として父なる神がキリストを高く上げられたからである。

 この名によって求めることが出来・・・そして受け、その結果、

 喜びが満ち溢れたものになる・・・ハレルヤ! 

 なんという喜び、なんという恵みでしょう!

しかし、今日、 

 何でも欲しいものを求めよと、まるでそこだけを抜き取って自分勝手な願いを祈り求めようとすることがなんと多いのだろうと思う。

 十字架の死と復活抜きに、何が御心であるのか、わたしたちの目は全く閉ざされており、それがわたしたちの本来の姿である。

欲望のままに(自分がその時よいとおもうことに従って)願うことは出来ても、

御心にかなった願いを人は捧げることすら出来ないのだ。

 

 『 しばらくするとあなたがたは、わたしを見なくなる。しかし、またしばらくするとわたしを見る。』

 この御言葉はイエスを信じる私たちにとって奥義です。

 
キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。

 死と復活と昇天、そして

イエスの御名によって父に求めることは 

どれも切り離すことはできず、一本の糸のように繋がっており
 
御名を通して、わたしたちは受け、喜びに満たされる。

それこそが

 神たるお方を神とし、神をあがめる

(父が崇められる)生き生きとした礼拝であるかを知って、

 さらに喜びに満たされるのです。

 

 

 


 
 
 

| 御言葉の分かち合い | 22:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 22:38 | - | - |
コメント
アーメン どんなに喜びで満たされ確かに持っていたのに「しばらくすると見なくなり」・・この「しばらく」は私にとっては時間的に短く感じる なんて頼りなき信仰だ。しかし、「またしばらくすると見る」これがこの身に起こると嬉しい この「しばらく」は予想外に長く感じる だって自分の希望でこの「しばらく」を決めてかかってるから。 神の目から見れば 10年単位かもしれない もっと長いことも また え?早い!ということもある 最善の時を贈られる神 そして一番最高なのは「しかし」。これである 「しかし」は死を復活へ繋ぐ約束だ 嬉しいなあ 鳥と共に踊り歌う気持ちに共感だ 願わくば 多くの兄弟姉妹が「しばらく」を超えて復活の命へ移されますように そのように成らせ 助けて下さい 
| イチゴ | 2011/10/13 11:16 PM |

イチゴねえちゃん

交わりを感謝いたします。

<「しかし」は死を復活へ繋ぐ約束だ

アーメン、アーメン!
いやぁ〜喜びが溢れてきます!

主はこの「しばらく」の間に、私たちの内側に
 「忍耐を生じさせ、
忍耐は確証を、確証は希望を生じさ」てくださる!〜御言葉が迫ってきます。

<願わくば 多くの兄弟姉妹が「しばらく」を超えて復活の命へ移されますように そのように成らせ 助けて下さい 

アーメン、アーメン 
御言葉の真実に与らせて下さるお方に、栄光がありますように!









| candy | 2011/10/14 7:28 AM |

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://toku-sati.jugem.jp/trackback/651
トラックバック