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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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私の讃歌 
 数え切れないほどの多くの恵みを、病の治療中に受けた。

言葉では表すことができないほど、ご愛を受け続けた

そのすべてをお返しすることができないほどに。

主はわたしが塵に過ぎない者である事を憐れんでくださったとしか、いいようがないほどに。

あまりにも恵みがすごかったので、主は、私が高慢にならないようにと刺も同時にお与えくださった。

その刺が無ければ、ただでさえ高慢な私は、もっと鼻持ちならない者になっていたに違いないと

そう思う


まるで水の上を歩んだペテロにように、現実のすべてが足の下にあった。

それを見つめれば、直ちに足が取られて沈んでいくかのようだった。

しかし、何時も私の手を取ってくださるイエス様がともにいてくださった

すべての治療が始まる前、主は詩篇23篇を語ってくださった。


幾度も読んできて、暗記するほど読んできたはずの23篇。

主はダビデの讃歌から、私自身の讃歌としてくださったのだ。


『主は私の羊飼い。

私は乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、

憩いの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、

御名のために義の道に導かれます。

たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、

私は災いを恐れません。

あなたが私とともにおられますから。

あなたのむちとあなたの杖、

それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ

私の頭に油を注いでくださいます。

私の杯は溢れています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと

恵みとが、私を追ってくるでしょう。

私はいつまでも主の家に住まいましょう。」




「あなたがわたしとともにおられますから」

この言葉は23篇のちょうど真ん中に書かれている。それがとても意味があることのように思えて

心に響いてきた。

私のど真ん中におられる主は、23篇のお言葉を生きた言葉として、私の内に届け続けてくださった。


主がともにおられるということがどのように祝福に満ちたことなのか、、詩篇23篇には溢れている

羊飼いである方の導きは完全で、荒野でしかないような場所に道を造られ、開いてくださる。

しかし、その道は開かれた事を確認してから進む道ではなく、

ただ主を見つめ、一寸先がどうなっているのか、たとえ私には分からなくても 

内に語り込まれたお言葉だけを確かな根拠、いのち綱として、

信頼の内に一歩を踏み出すごとに開かれてくる道である。

立ちすくむしかないような苦難の中で、

主ご自身の内に隠し、緑の牧場、憩いの水のほとりに

伴われる。直訳には、徹底的にという表現がされているほどに。。。

闇の只中で、どうして平安なのか分からないけど、心は穏やかで、休ませてくださるのである。

「主は私のたましいを生き返らせ」

あらゆる試練は、まことをもって呼び起こされる方、死者の中から起こされる方を信じる、御子の信仰へ死を通して移されるためである。それはただ、御名のゆえに、

「御名のために、私を義の道に導かれます。」

御名のために、彼の名のゆえに、もはや私ではなく、彼の義の中へと導いてくださるために


「たとい、死の影の谷を歩くことがあっても、」このお方が、伴ってくださるのである。

伴ってくださるという言葉が深く響く。それは深い結びつきであり、一つであることが含まれているからだ

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを
捨てない」 と語られたお方は、本当に真実なお方。

たとい、死を潜り抜けてゆかなければならないときにも、伴ってくださるのだ。

このお方の愛は、私の内から恐れを完全に閉め出される。

主がともにいてくださる甘さと喜びから、引き離すものは何もないのである。


「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」

裁きと憐れみ、その両方を知ることは、なんと甘いことでしょう。

十字架はその愛の完全な表れ

十字架の上に現された神の愛は人の知恵では知ることができず、心貧しい者、幼子に現してくださる。


「私の敵の前で、あなたは私のために食事を整え 私の頭に油を注いでくださる」

主は隠れたマナをお与えくださる。 目の前に置かれた事柄にゆえに、くじけてしまいそうになるが、

主は遅れることなく豊かな食事を整えて、「さぁ、とって食べなさい」と満腹させてくださる

まるで敵と食事はワンセットみたい ^^

苦しみと喜び、嘆きと笑い が一つに結ばれているかのようです。

私の頭に油を、・・あのお方から、滴り流れてくる油は他の方へと流れ行くいのちとして

注いでくださる

灯火はいつでも灯火自身の為にあるのではなく、その光を必要としている人のために灯される

「また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。」 マタイ5:15


私の杯はこのお方のいのちで溢れ零れる。もはや私ではなく、キリストが生きておられるからだ。


 「まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが私を追ってくるでしょう。」

 
 追ってくる・・これは何処までもしつこく追いかけるという意味がある

 主の恵みは追いかけてくる恵み、たといどんな所にいようとも、

十分過ぎるほどの恵みで溢れさせてくださるのだ。

 生活の只中で、今生きているその場所で、主がともにいてくださり、

23篇を、もはやダビデの讃歌ではなく、

私の讃歌として歌わせてくださるのだ

そして、私の口で「イエスは主です!」と歌い、

父なる神が褒め称えられるまことの礼拝へと導いてくださるのだ。

 詩篇23編が、いのちの日の限り、日々、瞬間瞬間追ってきて、止むことは決してないのである。


 私は、いつもまでも、主の家に住まいましょう!

 ハレルヤ!!ハレルヤ!
 
 栄光が主にありますように!


 

 












 









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