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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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エゼキエルが立たされた場
エゼキエル書37章についてさらに詳しく知りたい

書かれた背景や意味について交われたらとちょっと色々検索。

分かりやすかったのでちょっと転載します。

 



. 干からびた骨(1,2 節)


バビロン王ネブカデネザルによって永遠の都とうたわれたエルサレムは陥落し、ゼデキヤ王
を先頭に捕虜達が連行され、南王国ユダが滅亡したのは紀元前586 年のことでした。
神の民が異邦の民に滅ばされ、神の都が異教徒らに蹂躙(じゅうりん)されたという衝撃は癒やし難いものでした。

「神はもともと無力だったのだ。信仰など所詮、幻想に過ぎない」

と、虚無と倦怠に堕する者がいました。

「現実は厳しい。何だかんだと言っても人間のことは矢張り自分の力でやらなければならない」

と、信仰を離れ、世俗と妥協、同化して行く者が続出しました。

そして

「この悲惨は自分達の罪の結果だ」

と心深く感じ、悔い改めて出直そうとする者は実に少なかったのです。 こうした中にあって、神が預言者として立てられたのが、青年エゼキエルでした。

エゼキエルは大祭司ツアドクの末裔(まつえい)で、代々、祭司職にあったエリートであっただけに、紀元前597 年にユダの王エホヤキンと一万の精鋭達と共にバビロンに移されたのです。そのエゼキエルは捕囚地バビロンで紀元前586 年のエルサレムの陥落とユダの国の滅亡のニュースに接し
ます。捕囚の憂目は耐え難い屈辱であったろうと思います。自分の責任でないことを担わさせ
られる遣(や)り切れなさを、一身に負った、この名門の貴公子は、さながらハムレットの「こんな
時代に生まれ合わせられ、その立て直しを担わせられるとは」という悲哀を味わっていました。
ともかくエゼキエル書18 章2 節「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く」というこ
とをいやというほど噛みしめていたのです。
混迷、屈辱、挫折、苦悩の中を、当てどもなく歩んでいることに加えて、エゼキエルは愛す
る妻に死別したのです。

 エゼキエル書24 章18 節「その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻
が死んだ」。

これがエゼキエルの立たせられた場でした。
こうした絶対的状況の中で、彼は幻を見せられたのです。エゼキエルは、最も絶望的な状況にありながら、かえって、それ故に、死人の甦りを幻に見た人です。

 リビングライフより
| 書きとめておきたい言葉 | 07:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
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