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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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キリストの愛が、しっかりと捕らえているのは、
       (追記あり)

「事実キリストの愛が、(次のように)判断している私たちを、しっかりと捕らえている。

ひとりの人が、すべての者のために死んだのであり、それゆえにすべての者は死んだのである。と。

 (然り、その一人の人は)まさにすべての者のために死んだのである。それは生きている者たちが、

もはや自分自身のために生きるのではなく、むしろ彼らのために死に、そして、(死者たちの中から)

起こされた方のために(生きる)ためである。」  


 コリント第二  5:14〜




   どう判断しているから、キリストの愛が私たちをしっかり捕らえていると言うだろうか。

 ひとりの人、すなわち、イエスキリストがすべての者のために死んだことを通して、

 すべての者は彼と共に、死んだのであるということ。

 イエス様は、すべての人のために死んだのである。

  そして、この言葉はここでは終わっていない。

 それは、と続いている。

 それは生きている者=すなわち、彼と共に死んだと信じる者たちが

 もはや、自分自身のために生きるのではなく、むしろ、キリストがすべての人のために死んだように、
 
 すべての人のために死に、

 そして、死者をも起こされた方のために生きるため、と!

 そのように判断する私たちを、キリストの愛は捕らえている、と書かれてある。


 これこそが、信じる者に与えられた、

「和解の務め」本質ではないだろうかと感じた。

そして、また、殉教とはそのような意味ではないだろうか。

 
 この肉体が、死ぬことだけが真の殉教ではない。

 この体で生きている間、その歩みにおいて、

このキリストの足あとに従い

 「すべての人のため」小さな死に与ることを

日々、真実に負うことがなければ

 どうして、肉体において、キリストの死に与ることができよう。

 まさに、「生きることはキリスト、 死ぬことも・・」  なのである。

 もちろん、誰もがこの体においての殉教へと召されているわけでは決してない。

 
 本質的なことにおいて、

 日々、十字架を負ってついて行くことの意味を

 このコリント第二の手紙の5章から、深く感じさせられた。


 

 
 
  
 

 
 
  
| 御言葉の分かち合い | 07:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
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