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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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いのちの言葉を語る
 しかし私たちは、「完全な者たち」の中にあっては、知恵を語る。しかし〔それは〕この世の知恵ではなく、またこの世の滅される支配者たちの知恵でもない。

むしろ私たちは、奥義の中にあって〔今に至るまで〕隠されてきた神の知恵を語る

のであって、それを神は、世々の〔創造〕以前に、私たちの栄光のために、あらかじめ定めておかれたのである。

この世の支配者たちのうちの誰一人として、その知恵を知ってはいなかった。もしも彼らが〔それを〕知っていたなら、「栄光の主」を十字架につけたりはしなかったであろうからである。

しかし、このように書かれている。

目が見ず、耳が聞かず、

人間の心にのぼりもしなかったこと、

そのことを神は、神を愛する者たちのために用意されたのだ。

 そして、まさにこの私たちにこそ神は、霊をとおして〔このことを〕啓示されたのである。霊は、すべてを、神の深みをさえも、探り尽すからである。

実際、人間のうちにあるその人の霊をほかにして、人間のうちの誰が、その人のことがらを知っているであろうか。そのように神のことがらもまた、神の霊をほかにしては、誰一人として知ることはなかったのである。

私たちはしかし、この世界の霊を受けたのではなく、神からの霊を〔受けたのである〕。それは私たちが、神によって私たちに恵みとして与えられたものを知るためである。

私たちはそれを〔知るだけで

なく〕語りもするのだが、それは人間的な知恵によって教えられた言葉においてではなく、むしろ霊によって教えられた言葉において〔語るの〕であって、霊的なものによって霊的なことがらを判断しながら、そうするのである。

しかし、自然的な人間は、神の霊のことがらを受け容れない。なぜならば、それはその人には愚かさだからであり、〔それをその人は〕認識することができないからである。というのは、それは霊的な仕方で判断されるからである。

しかし霊的な人は、すべてを判断し、彼自身は誰からも判断されることはない。

誰が主の思いを知っていただろうか。その人は彼に教えることをするだろうか。しかし私たちこそは、キリストの思いをもっているのである。」


   コリント第一2:6〜15


  
   神を愛する者たちに用意された奥義は、人の目からは隠されて、この肉の目、人の知識によっては知ることができない。
 
 どんなに人の説明の限りを尽くそうと、それを知ることはできない。

 神の事柄は、神の霊のほかにしては、誰一人として知ることはできない。

 ゆえに、恵みによって与えられたものを知ることができるように
知ることができるいのちが与えられた。

 内に与えられた霊によって、神のことを認識し、判断するようにと、主は愛する者にご自身のいのちを与えられたのである。

 同じいのちを持っているゆえに、神から与えられた恵みに共に与り、共に喜び、いのちを共有し、交わることができるのだ。

 
 霊のことは霊によって語りこむ。

人間的な知識や言葉は人の知識を呼び起こしても、いのちには触れることはない。

 だからパウロは

 「そして私の言葉も私の宣教も、知恵のもつ説得的な[言葉]によるものではなく、むしろ霊と力との証明によるものであった。

それは、あなたがたの信仰が人間の知恵によるものではなく、むしろ神の力によるものとなるためであった。」
 
 コリント第一2:4〜

 と語ったのである。

 そのことに目が開かれる時、言葉の知恵や説得力、巧みな説明が、かえっていのちを阻むことを知る。

 ただ主の中で生き、主と共に深く交わり、霊の言葉によって養われることなしに、どんな言葉を語ろうとも、私たちは言葉を持たないのと同じである。

 あなた方の信仰が、人間の知恵によるものではなく、むしろ神の力によるものとなるため・・・

 コリント第一2:5

  
 霊において教えられた言葉を語る・・者として

 主によって遣わされて行きますように。

 

 

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