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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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いのちを注ぎだす
 〔つまり〕父なる神の予知によって〔選ばれ〕、霊によって聖化されており、イエス・キリストに従い、〔その〕血を注ぎかけられるようにと〔選ばれた人々に挨拶を送る〕。あなたがたに恵みと平和が増し加えられるように。

  第一ペテロ1:2  岩波訳



 ペニーさんがKFCでメッセージをされた。今回はお会いすることはできなかったが、彼女のメッセージを聞き、非常に励ましを受けた。

 今回のメッセージは「いのちを注ぎだす」というテーマだった。
以下はKFCメッセージのアウトライン

「 本日は英国のPennyさんのメッセージです。旧約聖書と新約聖書を通じて、血と水を注ぎだすことを見てみます。不妊の女ハンナは主の前に自分の心を注ぎだしていました。その中で新しいいのちを得ました。新約ではイエスご自身が十字架で血と水を注ぎ出しました。そこからいのちを得たのがエクレシアでした。私たちも御霊を受けて、そのいのちを自分の中にとどめ置くことなく、周りに流し出すとき、さらなる御霊のいのちを受けて、私たち自身が満たされます。このようにしていのちが循環することにより、神のいのちが拡大していくのです。このいのちの循環にとどまりましょう。 」

 
 いのちを注ぎだす・・というテーマを読んだだけで、私の心は喜びに満たされた。
 それは私の心の中に、このメッセージを聞くずっと以前から強い示しを受け続けていたからだ。

以前は流し出すといえば、主が私にしてくださったことを証すること・・ぐらいにしか思っていなかった。しかし主の思いはそれだけにとどまることはない。

 心に流れ込んでくるいのちの水の流れが、私の中だけにとどまることを望まず、まるで溢れ流れる場所を、水自身が強く求めておられるかのように感じていた。
 
 
 その血を注ぎかけられるように選ばれた・・のは、その血を注ぐため、注ぎだす者とされるためなのである。
 
 いのちを注ぐ・・ことについていつも心にある御言葉

 「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」

岩波訳では、「世にいる自分に属する人々を愛するにあたって、この人々を極みまで愛した。」。。。極みまで愛した。。


 イエスにとっていのちを注ぐということは

 神の愛を現すことであり、この上なく愛すること、極みまで愛することを意味していた。33年間の歩み全てが、イエスにとっていのちを注ぐ行為だった。その究極、結晶が十字架なのである。
 

 「それでは、主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたも互いの足を洗い合わなければならない。

つまり私が自分たちに行なった通り、あなたがた自身も行なうようにと、私はあなたがたに模範を示したのである。」

 
 主が残された模範、そのお姿は、「ご自分を無にして、仕える者の姿をと」られ、弟子の足を洗われたのである。

 そして、ご自分を裏切ろうとしているユダにすら主は仕えられた

 
 いのちを注ぎだすとは、こういうことなのだと思わされている。

 自分を裏切る者に対して、愛を注ぐことは、いのちが流れ出る痛みそのもの。

 しかし、主は黙って仕えられ、愛し抜かれた。

  
 十字架に架り、罪を負われ、赦しを与えてくださった。その赦しは
 血を注ぎつくした愛である。

 

 いのちを注ぎだす、それは綺麗事じゃない。

 いのちを注ぎだすのだから、死を意味する。十字架を負って主についてゆくことであり、

 十字架とは、神の愛の極みの完全なる現れ、注ぎだす愛である。

 いのちを注ぎつくすまで、主の赦しを身をもって現すことを願うだろうか。

 

 人にはできないが、神には全てが可能である

 イエスキリストに従い、その血を注ぎかけられるように選ばれた

 主に従って、いのちを注ぐ器へとされるために。

  互いに愛し合いなさい・・・

 という御言葉が、互いに(いのちを)注ぎだしなさい・・と聞こえてきた。

     
| 御言葉の分かち合い | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
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