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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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神を侮ってはならない
 堅苦しいタイトルだけど、このことを示された。

昨日は司会だったのだけど、朝、喜び勇んで出かけたのにもかかわらず、いざ司会に立ってみると。。。

何かいつもと違う感じを自分自身の中で感じた。

内容がどうだったというより、

私の心が、何かいつもの司会と違っていた。

そのまま無事に司会はし終えたかのように見えた。
(神の前にも人の前にもこんな失礼な奉仕はない・・・)
でも、・・・・。

今朝、祈りつつ、気がつけば、あのこと、このこと・・・。

私の中にある罪を示された。

罪が入るとその瞬間、まるで、黄色信号から赤信号に変るかのように、

内に小さなサインが発せられることを感じる

それと同時に、それにうすうす気がついていながら、それを、なおしている自分があるのである。

私はそれらのことを、うやむやにしたまま、主の前に立っていたことに、ふっと気がつかされた。


   
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」      イザヤ59:1、2


  そしてその罪、咎が私と私の神との仕切りとなり、私の罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにした・・ことを感じたのだ。

 今朝、私はそれらの咎を心から主に申し上げ、御言葉と共に告白し、悔い改めた。

 そしてその中の咎のひとつ、自分ではどうしようもない許せない感情を主にゆだねた。
 
 おそらく、・・・私も同じものを持っているのだろう。

 それが引っかかりとなり、極度にまで許せない思いが噴出するのだろうか・・・。

 それが神の御前における私の真実だとしたら、

 一番自分の中で、嫌悪さえ感じている罪が私の中にも存在することを暗示している・・・としたら・・・・

 もはや、この汚れきっている私を、主よ、どうぞお許しくださいと
十字架の前に、祈るほか何もない。

 ますます光の下へ、私の真実を照らし出すまことの光のもとへと導いてください。

 主は、私自身、自己から解放してくださるために、十字架にかかってくださったことを信じます。

 私は御前に、罪を言い表します。

 イエスを信頼し、このお方の言葉を受け入れ信じます

 そしてこのお方の約束にとどまります。
 
   
| | 07:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
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コメント
こんにちは。

   
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」      イザヤ59:1、2

この御言葉は私もずっと先日から心にある御言葉です。
同じように自分の罪が主との仕切りとなっていることを感じて主に祈りました。
主がこのように示してくださることは自分が愛されていることを自覚します。
それゆえ主の前に出て自分の罪を告白し悔い改める必要があることを強く感じています。
| sheep | 2010/09/27 10:25 AM |

sheepさんへ

コメントを感謝します。

>主がこのように示してくださることは自分が愛されていることを自覚します

アーメンです。主が罪を示されるのは、その罪を赦すためであり、それだけではなくその罪から解放してくださるためですものね。
そして主の聖さに与らせようとしてださっている・・。だからこそ、罪が示された時に、心かたくなにしてはいけないんですよね^^

握っているものを手放してゆくことは、本当に大切なことですね。



| candy | 2010/09/28 1:26 AM |

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