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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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神の働き人の中心的情熱
 

『そういうわけで、…私たちの念願とするところは、
主に喜ばれることです。』
2コリント5:9

 

 「そういうわけで…私たちの念願とするところは…」
最も大切な願いを常に最前線に保つという事は
骨の折れる仕事である。


それは来る年も来る年も
自らを高い理想に保つという意味である。


たましいを勝ち取るとか、
教会を立て上げるとか、
リバイバルを起こすとかということではない。


ただ「主に喜ばれること」を
渇望するということである。


失敗に導くものは霊的経験の欠如ではなくて、
理想を正しく保つために骨をおる努力の欠如である。


少なくとも週に一回は神の御前に吟味して、
自らの生活が神の望まれる水準にあるかどうかを
計ってみなさい。


パウロは自分の「師」からの
承認の表情を得さえすれば、
聴衆の承認は気にしない音楽家のようである。

 

「主に喜ばれること」という
この中心的な渇望からほんの僅かでも
それている野心があるならば、
われわれは見捨てられた者になってしまう可能性がある。


野心がどこに導くかを見極めることを学びなさい。
そうすればなぜ
主イエス・キリストを見つめて生きることが
これほどまでに必要かが分かるであろう。


「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。
それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者になるようなことのないためです。」
(1コリント9:27)とパウロは言っている。

 

私はすべてのことを
この中心的な渇望に結びつける事を学ばねばならない。
しかもそれを間断なく維持することを。


公衆において私が
神に対してどれほどの価値があるかは、
プライベートにおいて私が
神に対してどのような者かで決まる。


私の中心的な願望は神を喜ばせ、
神に喜ばれることであろうか。
あるいはいかに高尚なものであろうと
何かそれ以下のものであろうか。

| オズワルド・チャンバース | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
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