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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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信じてきた方を

 「 私は、自分の信じて来た方をよく知っており」
          
2tim 1:12


パウロは自分が信じてきた方をよく知っている・・といった。

ゆえにあらゆる苦難、恥さえもものともすることがなかった。

自分が信じてきた方をよく知っている、

すごい言葉だと改めて思う。

自分がもし、「信じている方をよく知っているか」と聞かれたら、
あまりにも知らないと正直思う。

知っていると思っていることすら、実は何も分かっていなくて、分かっていないということすら、実は分かっていない。

真っ暗闇ではこの目は何も見えないように、霊の目も光の下で照らされた部分において初めて人は見ることができるからだ。



聖書の真理、その意味について知ることはとても楽しい。「あぁ、そういう意味だったのか」と、知識を得ることはある意味、興奮するし、わからなかったことが開かれるのは、スカッとした気分になるし、実に爽快。

でも、パウロが言う、「自分の信じてきた方をよく知っている」という告白の、それとは全く違う。


 貪欲なまでに知識を得ても、それはいのちをはなんら関係がない。

 私自身、真理を求めてメッセージを聞きあさり、本を読みあさったときがあった。分からなかったことが分かるのは楽しいし、もっと知りたいとおもった。

 分かった言葉を使うことも楽しいし、自分がすでに得ている、知っているかの様な錯覚に陥ってしまう。霊的になったと、思い込んでしまう。

知識が、逆に主を知ることの障害とさえなりうるのだ。

 (知識を得ることが悪いといっているのではない)

 しかし、それらはすべて、

 「信じている方をよく知っている」という言葉の外にあるもの。

 実体がないのだ。

 
 「彼らは自分で何をしているのかわからない・・」と主は言われましたが、まったくそのとおり。

 
 外にあるものに本当の満足はない。培った御言葉の知識を並べても、健やかさはない。

 霊のことは霊によってわきまえるということが、
良いものと悪いものとを見分けることができる
いのちによって、闇と光とを見分ける。

 

  人が主に向くときまで、決して覆いは取り除かれることはないのですから。
 



| 御言葉の分かち合い | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
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