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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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第一章  生と死
  
 ただひとつの生命の源〜無限かつ全能の生命〜がある。
その創造の力が、生きとし生けるものすべてに生命をお与えになったのである。

全被造物はその中に生き、未来永劫にわたりその中にとどまり続ける。
この生命の源は、違った種類の、発展段階も異なる、数知れぬ生命を創造した。
人間はそのひとつであり、神ご自身の姿に似せて造られた。それは人が神の聖なる臨在の中で、
永遠に幸福であり続けるためである。

生命は変化することはあっても、決して滅ぼすことはできない。死とは、ある存在形態から別の存在形態へと変化することを指すのであり、生命を終わらせることを意味するものでも、生命を加えることを意味するものでも、ましてやそこから何かを取り去ることを意味するものでもない。ひとつの存在形態から別の存在形態へと生命を移すにすぎないのだ。あるものが目に見えなくなっても、それは存在しなくなったのではなく、別な形と状態の中でまた現れるものである。

 この宇宙の中でかつて滅ぼされたものは何一つなく、今後もそうである。それは、創造主が破滅のためにものをおつくりにならなかったからである。
 滅ぼす意志があれば、初めから創造することはなかったであろう。被造物が何一つ滅ぼされないとすれば、被造物の極みにして神の形に造られたという人間が、どうして滅ぼされよう。
 
 神は神ご自身の形を滅ぼすことができようか。あるいは、それ以外のどのような被造物にも人間を滅ぼすことができるだろうか。決してできないのである。

 人が、死をもって滅びないとすれば、次のような問いが起こってこよう。

   人は死後、どこにいるのか。どのような状態にいるのか〜

 
 私は自分自身の異象体験から簡単な説明を試みよう。もっとも、霊界の異象の中で見たものすべてを書くことはできない。

 この世の言語と描写はこのような霊的実在を表現するには不適切で、異象にみたものの栄光を「この世」(物質界)の言葉に表そうとすれば、誤解を生む結果になりがちだからである。

 そこで、霊的言語でしか説き得ない微妙な出来事については割愛し、誰にとっても益となる簡単で教訓の多い出来事のみを取り上げることにした。

 誰もがいずれはこの目に見えない霊界に入らなければならないので、それについてある程度親しんでおくことは無駄ではないと思う。
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