SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
MOBILE
qrcode
フラワー

動物をクリックしてみてね^^
SPONSORED LINKS

12
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
<< 「開かれた天」より | main | 受験 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
「十字架と解放」より
 

十字架を負うことについて話すとき、私たちは何を言わんとしているでしょう?「だれでも私について来たいなら、自分を否み、自分の十字架を負って、私に従ってきなさい」と話した時、主イエスは十字架への途上にありました。

弟子たちに話す時、主は至極身近な例を使われました。弟子たちは、エルサレムの犯罪者たちが十字架を担い、城壁の外で十字架にかけられて死ぬのを当時見ていました。主イエスが「自分の十字架を負いなさい」と言われた時、彼は弟子たちにこう言っているようでした、「時が来て、私が十字架を担い、それにかけられて死ぬのをあなたがたが見る時、あなたがたの道も同じでなければならないことを思い出しなさい。あなたがたも十字架を負い、私のように、そして私と共に、自分のいのちを捨て、十字架上で死ななければなりません」


私たちはささやかな困難をすべて「十字架」と呼んできましたが、真に十字架を負うことはもっとそれ以上のことを意味します。それは、キリストの十字架を負うことに同意して、彼がそれに対して死なれたすべてのものに対して彼と共に死ぬことを意味します。それは、彼の死を私たちの死として受け取ること、彼に対して死が持っていた意義のすべてに同意すること、十字架上で死が彼から分離したすべてのものから、彼の死は私たちを分離するであろうことを意味します。そうです、真に十字架を負うことはあまりにも多くを意味するため、私たちは一生の間その深さを見いだし続けるでしょう。

さらに、私たちは彼の十字架を負い、彼が死なれた時に彼と一つにされたことを信じるだけでなく、彼の死の力に明け渡します。それは、彼の死の力が日ごとにますます深く私たちの中に働いて、ついには私たちの存在のすべての部分が真に彼に同形化されるためです。


キリストの愛が私たちに押し迫っています。なぜなら、私たちはこう考えているからです。ひとりの方がすべての人のために死なれたからには、すべての人が死んだのです


彼の死の恩恵の対象である人はみな、彼と共に死にました。これはなんとはっきり書かれているのでしょう。これは私たちのうちにある神のいのちの土台です。この基礎をはっきりした確かなものにしないなら、私たちは屋根から建てることになるでしょう。古いいのちの上に新しいいのちを加えようとしている神の子供たちが何人いるでしょう?新しいいのちのための場所を設けるために、古いいのちは十字架に行かなければならないことを、彼らは見ていません。悲しいことですが、飾られて新しいいのちのように装われた、大量の古いいのちによって生きることは可能です。これは、「新しいいのち」という表現を実際に利用している古いいのちです


古い生活方法に属すると神から示されたものはなんでも、私たちは喜んで十字架に明け渡すでしょうか?ただちに彼を受け入れましょう。生きているという名を持っているにもかかわらず、死んだ働きを産み出してしまうことほど、重大なことがあるでしょうか?ああ、これは聖潔という名の下で可能です。キリストと共に自分から進んで十字架上に身を置きさえするなら、そして十字架が私たちの間で真に実際のものとなるよう、自分から進んでキリストに働いてもらいさえするなら、神のいのちと愛の奔流が内側に流れ込み、私たちの存在すべてを満たすでしょう。


しかし、もう一度読みましょう、「すべての人が死んだのです。そして、彼がすべての人のために死なれたのは、生きている者が……!」。神に感謝します。聖書中、死と復活は決して分けられていません。「彼がすべての人のために死なれたのは、生きている者が、もはや自分自身にではなく、彼に生きるためです」。これはさいわいな結果です!今から後、自分自身に生きるかわりに、神に生きます。今から後、朝も昼も夜も、神に生きます。こうして私たちは日々、信仰の足でこの二つを踏みしめて歩みます。「主よ、私は古いいのちを十字架に渡します。そして、自分のいのちのかわりに、あなたのいのちを取ります」


私たちの多くは、かつてこの立場を取りました。しかし、毎瞬このように行動しなかったため、それを失ってしまいました。一度だけでは不十分なことを私たちは忘れています。「イエスのいのちが現されるために、いつもイエスの死を身に帯びて」いなければなりません。私たちは、十字架の基礎をはっきりとした確かなものに保たなければなりません。最初から、二つの面が一緒でなければなりません。この二つの面とは、死から出たいのちと、全行程を通していのちの土台である死です。


キリストと共に自分の場所に着いた後、私たちは断固として古いいのちを死に渡さなければなりません。この時、悪魔は言うでしょう、「あなたは、自分は十字架につけられた、と言わなかったでしょうか?それでは、あれやこれはどういうことでしょう?それは自己ではないのでしょうか?」その時、私たちは適切かつ率直に言わなければなりません、「私はそれをすべて十字架に渡しました。そして私は常に、『私はキリストと共に死んだ』という神の御言葉の土台の上に立ちます。今、これは私の自由意志であり、選択です。私はこの自己の現れを死に渡し、それからの解放を求めます」


これは一つの理論ではありません。これは証明済みです。毎瞬この土台に基づいて進むなら、私たちは常に彼の死に同形化されるでしょう。なぜならあなたは、彼の死は自分のものであるという信仰の立場を取らなければならないだけでなく、実際に彼の死にまったく同形化されなければならないからです。このように据えられた土台の上に立つ時、イエスの霊は毎日あなたを満たすでしょう。小羊の霊があなたを通してますます現されるでしょう。そしてあなたは、かつて自分自身のために戦った場所で、今やイエスの霊が治められるのを見て驚くでしょう。


これが神の解放の道です。これが、私たちを自己から引き上げて新しい領域にもたらす神の道であり、実際生活においてイエスの霊といのちをさらに知るよう私たちを導く神の道です。


「キリスト・イエスの中にバプテスマされた人はみな、彼の死の中にバプテスマされたことを、あなたがたは知らないのですか?」(ローマ6:3)


彼が御光で内側を照らし、私たちの姿を私たちに見せてカルバリに向かう時、それは大いなる救いではないでしょうか?キリストの死のゆえに、神に感謝します。私は彼の死の中に植えられた、と神は言われます。「それは、キリストが死者の中からよみがえられたように、私たちがいのちの新しさの中を歩むためです」。私たちは、「キリストは私たちのために呪われた者となり、私たち呪われた者たちを十字架に連れて行って下さった」と告げる神の御言葉に専念するよりも、あまりにも見なすことに専念してきました。


どうか主が、彼の十字架を知る更に深い知識の中に私たちを導き、彼のいのちを現すための場所をさらに広げて下さいますように。これを少ししか知らないのに、「自分はこれをすべて知っている!」と思い込む過ちを、私たちは犯していますあなたは確信を持って「私はキリストと共に十字架につけられました」と言うことができます。しかし、その意味の深さをまだ知らないことも確かです。


ただこれだけが、神の光と愛が私たちの中に流れ込むための唯一の土台です。キリストの死が聖霊によって私たちの内に働くことに同意する時だけ、彼のいのちの奔流はその水路に立ちはだかるすべてのものを洗い流すことができます。「あなたがたから生ける水の川々が流れ出るでしょう」


人々はキリストの愛を待ち望んでいます。私たちはそれについて話し、「私はあなたを愛しています!」と言います。しかし、その愛はなんと冷たく、なんと現実からかけ離れているのでしょう。自然に無意識のうちに自分を費やし尽くさせる愛を、私たちは必要としています。世界はそれを欲しています。私たちは中に油が入っている石膏の壺のようです。壺は砕かれる必要があります!

| ジェシー・ペン-ルイス | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| - | 23:34 | - | - |
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://toku-sati.jugem.jp/trackback/148
トラックバック