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十字架の恵みが溢れて

主が治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主イエス・キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。
なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきているのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを傷つけているからです。アーメン

〜ウオッチマン・ニーの祈り〜
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賛美の外套



暗くてはっきり見えませんが病室からの眺めです

名大に入院していた時はお隣が鶴舞公園でしたから素敵な眺めでしたが…♪

今日は手術後の傷口の抜糸が済みようやく首が動かしやすくなりました。

明日は透析をして午後3時前後には退院できる予定です。

本当に皆様のお祈りありがとうございました。

何から書いていいのか…
今はただ主の愛と恵みが波のように押し寄せて来て
涙が溢れて止まらない夜です。

今回の入院は私自身が取り扱われ、主の対処を受けることとなりました。もちろん家族も…

ペヌエルの出来事のように
ヤコブが内に持っていたものと同じ、内にある恐れです。

予後の説明をする医師の言葉は鋭く私の内を貫き、隠れていた、いえ、私自身が蓋をしていた恐れを火によってあぶり出すかのようにして、光のもとにさらけ出されたのです。

私は病室で一人静かに主の前に…耳をすませるようにして向かいました

『恐れるな…』

というお言葉とともに

『自分のいのちのことで思い煩うな』

という主の語りかけを深く感じました。

ペヌエルでヤコブは一人に になり、

夜(夜から夜明けまで)

格闘をしました

まるでそこに自分の姿が重なったのです。

病室で一人になるところに連れ出され、
術後の夜は、夜が明けるまで格闘しているかのようでした。

手術は大きくなっていた副甲状腺は神経を取り巻いて癒着していたのでそれを取り除くことが大変だったようで、神経が傷つくまではいかなかったのは幸いでしたが
術後の炎症がひどく、取っても取ってもあふれでてくるタン(汚いお話で済みません)が原因で一晩中むせかえり、
でも傷口が開いてしまう危険があるので無理に出すことができず、喉である関係上、再出血したら、即再手術を行うと言われておりました。

術後にカリウム値が上がったので、その状態のまま透析へ、針が刺さって動けない左腕に、右手は副甲状腺を移植したばかりで動かせず
タンでむせかえる苦しさに、なんとも言えない辛さを感じました

ももつがいを打たれた、かのように、一人ではどうにもならぬ苦痛で長い眠れぬ夜を過ごした

窓から見える景色が明るくなっていくことの、ほっとしてゆく思いは忘れることができません

喉のむせかえりとタン、微熱が続き、食事も水を飲むことも不自由で、飲み込めるというのは幸せなことなんだなぁととつくづく感じた。

そんな夜に内に流れる賛美が、『主イエスこそわが望み』だったのです

ヤコブはあなたはなんと言う名か、
と聞かれるが
ただ単に名前を聞かれたからヤコブと答えたのではない
ヤコブという名は人を押しのけるもの、出し抜く者という意味だ

しかしその意味である名を名乗ることは、自分がそういう者であると認めることになるのだ、
そしてその本性こそ、恐れがヤコブの思い、行動を支配し捕らえている根そのものでした

自らを認め,内にある恐れを取り扱われたヤコブはもうヤコブではありませんでした。

イスラエル「神と戦い、人と戦って 勝った」 のです

不思議な意味です


でも人の知恵では知りうることが出来ない、神と戦って顕にされるものであり、
私の弱さ愚かさの内に現れてくださる主を真実に知らされるのだ

1 主イエスこそわが望み

わが憧れ わが歌

昼も夜も導く

わが光 わがちから…

   この歌を自分から主に歌っていると思ってた

   でもそれも信仰のひとつ

   そう願って歌うこともある

しかし、主は十字架によって、私の愚かさ弱さをご自分のものとしてその身に背負い

主は私に、かわりに賛美の外套を着せてくださったのだ

私の弱さと愚かさを嘆くかわりに歌を、そしてその歌の通りにイエスの信仰を移植してくださったのだ


主イエスこそわが剣
わが喜び わがたて
ただ主こそがわが神
わが宝 わがすべて



試みの世にありて
罪の力 死の闇
取り囲みて 迫れど
なお主こそ わが望み

・・にしてくださるのは主の側からそうしてくださるのだ

なんという憐れみ・・

深く感動していると

主人からメールが来た

腎臓ひとつやるでな…と。
私が腎不全になってからはじめて主人がそういってくれた

嬉しくて…その言葉が嬉しくて 病室で声を押さえつつ泣いた。 私は免許証の裏に万が一の時は妻にやってほしいと書いてくれるだけで十分だよ、ありがとう…嬉しい

と返信した。

主人にとってその一言を言うのにどれ程思い悩んだだろうと思った…

娘も、私のひとつあげるといってくれた。当然もらうつもりはないが、

こんなことを思ってくれるほど主は家族の内にさまざまな思いを起こさせ
共に負うといこの愛を深めてくださっていたのだ…

「太陽は彼の上に上ったが、彼はその もものためにびっこをひいていた。」

びっこをひくゆえに神の権威の杖にすがる者とされる

弱いときにこそ強いと言うお言葉が内に受肉し続ける

神の言葉は一度語られると、ことのあるごとに成し遂げられ続けて行くのだ

『真に十字架のキリストを仰いで生きるためには、各自が自分に絶望し挫折して大死一番、その傷口よりキリストの血が注がれるための処置がなされなければならない。これ悔い改めの回心である。
主キリストの血に接がれるためには自己否定の内的転換を要する。すなわち、
一度、我らの古き人が十字架につけられ、キリストのように死んで生きる人間になることである。

十字架のキリストは大死一番、血のしたたる死生の関の自己突破の上で啓示される。しかざらばキリストとともに復活する霊的な新しき生命に歩むことはできないからである。』
T.Y


長い文章を読んでくださり心から感謝します

Candy

     


   

「しかし、彼はその夜のうちに起きて、ふたりの妻と、ふたりの女奴隷と、十一人の子どもたちを連れて、ヤボクの渡しを渡った。

 彼らを連れて流れを渡らせ、自分の持ち物も渡らせた。

 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘したが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。

するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」

 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」

 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください。」と尋ねると、その人は、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか。」と言って、その場で彼を祝福した。

 そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。」という意味である。

 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。」


創世記32:22〜31

| | 02:49 | comments(2) | trackbacks(0) |
主の恵みは、スバラシイ!!!
 嬉しいぞ〜〜!嬉しいぞ〜〜

ハレルヤ! 感謝でいっぱい!

今日は交わりをしていたある方が、

イエス様を救い主として信じ受け入れました!!

ハレルヤ〜〜〜!!

嬉しいよ〜〜



私が階段で転んで、お尻を強打したことも、

そして接骨院に通いだしたことも、

み〜んな繋がっていました。

そのことを通して深い交わりへと導かれ、

イエス様を分かち合う恵みへと

導いてくださった主を褒め称えます。

すべてのことに無駄がなく、

すべてのことに働いて益として下さる!!

主の恵みを心から褒め称えます!


 「あるいは、十ドラクマを持っている女が、一ドラクマを失ったら、ともし火をつけ、家〔の中〕を掃いて、見つけるまで丹念に探さないだろうか。

そして見つけたら、女友だちや近隣の者たちを呼び集め、彼らに言う、『私と一緒に喜んで下さい。失ってしまっていた一ドラクマを、私は見つけたのですから』。

私はあなたたちに言う、悔い改める一人の罪人のゆえに、神の御使いたちの面前ではこのような喜びが生まれる」。

   ルカ15:8〜

 
 
| | 18:28 | comments(2) | trackbacks(0) |
すべてを益とされる方
 
 今朝いつものように主人が出勤していく所を見送った。

 駐車場を出て行く車の後ろを見た瞬間・・

 あれ?あっ〜〜!!

 後方のガラスが・・割られてるっ!

 急いで車を追いかけ、

 「ガラスが割られてるよ〜パパ〜〜!!」
 
 駐車場に車を再び戻し 飛び散ったガラスが散乱する

 無残な光景に

 私たちは唖然としてしまった。

 中は?何か盗られている物は?

 見えないように隠していた主人の釣竿二本が消えていた。

 すぐに警察に連絡。

 同じ駐車場内で、他の車も同じような被害にあっていた。

 
 
  ガラスが割られたら、それだけ取り替えればいい

 というものではないらしい。

 細かく飛び散ったガラス片は、車の中のあらゆる所に突き刺さっており、そのままでは乗れない

 カバーのようなものをめくりあげてもその下のほうまで散乱していた。

 あらゆる所に突き刺さった細かなガラス片を丁寧に取り除かなければならない。

 清掃するのはもちろん、車のボディにも小さなガラス片が突き刺さっていて

 綺麗に塗装しなおさなければ、さびてしまう。

 
  主人が、警察へ被害届を出している間
 
 私は透析に行く時間が来たので、先に出かけた

 向かう車の中で、

 まさか家の車が車上荒らしに遭うと思いもよらなかったが

 この出来事、いったいこれはどういうことなのだろう。。

 といぶかりつつ思い巡らしていた。

  
 ただ、私の信じている方はどのような方であるのか

 幾度も幾度も、あらゆることを通して知らされてきた。


 そして、すべてのことは神の許しの中で起こっている。

 例外は何一つとしてないのだ。

 そして、無駄なことなどおこりえないことも。


 すべてのことをもって主に感謝をささげた。

 

 今度の土日(3月1、2日)、久々家族旅行を計画している。

 三月の後半ごろは、私の手術も控えていて

 しばらくは外出できなくなる

 主人も色々大変だったことや、何より、

 3月1日は結婚記念日。

 息子と娘からのプレゼントで

 (本当は自分たちが一番行きたがっている・・笑)

 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに

 遊びに行く予定にしている矢先の出来事だった。

 
 
  それから、実を言うと、まだ主人の初任給が出ていない。 

 そんな状況で遊んでいる場合じゃないだろ!と突っ込まれそうだが・・笑)

 最後に頂いたお給料は昨年末

 その後、新会社に移行してからも、

すぐに仕事らしい仕事がなく、当然、入るものも入らなかった。

 ようやく2月に入り、順調に動き出し、

 初めてのお給料は3月15日

 何とかやりくりしつつ過ごしてきたが

 予期せぬ車の修理費用や、4か月分の年金も払わなきゃいけない

 痛い出費が重なリ、貯金を切りくづして・・と考えていた。

 落ち込んでいる主人に、すぐには無理だけど、

 今度釣竿買いに行こうね・・とメールした。

 
 ところがである。この車の出来事を通して、

 予期せぬ所から豊かにその必要のすべてが与えられたのだ。

 すべてを支払ってなお、

 旅行で楽しんできなさいといわんばかりの必要を

 主はお与えくださったのだ。

 あまりにも速やかな主のお答えに、驚きに満たされてしまった。

 主のなさることは本当に素晴らしい。

 このような者をも顧みてくださる主はほむべきかな!

 主を心から崇めます。

 
 いと高き所に、ただ神に栄光がありますように!



   
 
 
   
 
           主人の釣竿 

    
    
   
    
  
  
 
 
| | 21:51 | comments(3) | trackbacks(0) |
すべて手放した後で・・
 あと二日で主人の会社が整理となる・・

すべての書類がそろえられ、後は片付けのみとなった・・

ところがである。寸前のところで

同じ系列会社と合併の話が持ち上がった

実は以前から自販機の調整、設置など

機械の操作ができる主人に来てほしいという話があったが、

主人は断っていた。

しかし、会社まるごと、ということになれば、

会社の社員ことを思えば

この話を断ることはできない。

1月1日から新会社として同じ場所で同じ仕事ができることとなったのである

それでも、明日のことはわからない

・・が、明日を守られる主が共におられる

主人はこんなことを言った。

 「何を考えているのかわけがわからない神様は、次は何をしてくれるのか・・」

この言葉を聞いて、つい笑ってしまった。

 確かに・・この先、いったい何を計画しておられるのかはわからない。

 しかし「 彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」 汽撻謄蹌押В

 御言葉は常に真実である
 

  次の日曜日はクリスマス礼拝

 主人も一緒に行くことになった

 主を褒め称えます

 御名があがめられますように!



「・・・あすのための心配は無用です。

   あすのことはあすが心配します。

労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:34)

 
   「明日を守られるイエス様」
 
 
明日はどんな日かわたしは知らない
 
晴れか嵐か曇りになるか

わたしは明日を心配しない イエスがわたしを守られるから

明日はわたしにはわからないけど

明日を守られるイエスがおられる


日々のあゆみは日々に明るく かたのおもには次第に軽い

輝く太陽 涙かわかし 仰ぐ空には虹のかけ橋

明日はわたしにはわからないけど

明日を守られるイエスがおられる


明日はどんな日かわたしは知らない どんな道すじが先にあるかも

だけどわたしは心配しない イエスがおられるわたしのそばに

明日はわたしにはわからないけど

明日を守られるイエスがおられる


 
    But I know who holds tomorrow

    and I know who holds my hand.
   



 

| | 21:37 | comments(4) | trackbacks(0) |
すべては御手の中


 今月の25日で主人の会社が解散となることが決まった。

 飲料メーカーの下請けとして、長年主人の父が経営してきた会社だが、

 ここの所のひどい値下げ、値下げ連続で、今年の仕事はほとんどがただ働きをさせられている状況になった。

メーカー側の内部の人たちでさえ、こんなに値下げしたら、業者はつぶれる・・とわかっていたそうだが、上の決定には逆らえなかったようだ。

 幸い、会社に借金がないので解散、会社整理という形を取り、今はその片付けに追われる毎日だ

 
 主人はこんな苦しい状況から脱したいと、イエス様に求め、しばらく教会にも通っていた。

 ところが、状況は悪化の一途をたどっていき、

 「もう神様なんておらん!」と教会にも行かなくなった。

 事あるごとに、「神様なんておらん」と主人は言う

 でもそれを平安をもって聞くことができるのは、本当に感謝だ。

 主人の心が、本当に神の存在を意識すらしないのなら、

言葉にすら出ることはないだろう。

 主人が神なんていない、というたびに、

本当は神がいるなら知りたい・認めたいんだ!

 という叫びの裏返しであることを思う。

 主人が神なんていない、という時には

 「もし本当に神様がいないなら、わたしは生きていないけどね^^」とにっこり言う。

 
私の願いは、真実な意味で主人の魂がキリストのものとして勝ち取られることだ

それには、産みの苦しみ、十字架と通る以外にはない。


今はそのためにあえて

閉じ込めのときが与えられているのだと感じる。


私のような者の罪を許し、憐れみをもってご自身の子供とし、

なお忍耐に忍耐を重ねつつ導き続けてくださっているお方が

主人の魂をも捉えてくださることをどうして疑うことができよう。

たとい私が生きているうちに見ることができなかったとしても、

主人にあった方法で、主人に一番わかりやすい方法で

主が生きておられることを主人に示してくださることを信じます。

その時がいつであるのか・・それはずっと先の話かもしれません。でも
主は主人を捕らえ、愛してくださっていますから、どんなに反抗しても御手の中です。

もし、この目でこの耳で主人が主を救い主だと頭ではなく、内側で知ることを見るなら、、その喜びはいかばかりでしょう!!

 
 ハローワークに通わなければならないことを主人は恥じていた。

でも、第二の人生の始まりだね^^どんなことが待っているのかな??

どのような人生でも共に歩んで生きたい

この世にあっては苦しみがある、でも、すべては御手の中なのだから

主にすべての栄光がありますように!!









 

| | 08:25 | comments(2) | trackbacks(0) |
転院のはずが・・・
 先日、転院の話を病院長に話をしようと思っていた所、ちょうどその日に院長先生が穿刺(透析の針を刺す)にこられた。

先生にオーバーナイト透析のことをどのようにお考えになっていらっしゃるか尋ねてみた。

そして、引っ越し先のすぐそばに、オーバーナイトを導入された病院が新しく建てられたことなどをお話し、転院の話を切り出した。

しかし、先生の答えは、予想外?にも オーバーナイト透析に切り替えることによって、

今の良い状態(しっかり透析ができている状態)が保てるかどうかは、疑問に思われるていることをお話してくださった。


長い時間透析をすることは決して悪いことではないが、しかし、長時間の透析は、当然、血流量は色々なリスクがあってあげられないこと、

そして長時間やるというよりも、5時間なら5時間の間に、血流量を最大限にとる事のほうが

透析効率が良いことなど、丁寧に話してくださった。もう一度よく家族の方と相談されて

よく考えられたほうがいいとお話してくださった。

穿刺を補助してくださった看護師さんが私と院長のやり取りを黙って聞いておられた。

何よりもその看護師さんは透析をご自分でも35年受け続けながら、なお看護師として仕事を続けられている方だった。

35年という長い間に、透析治療は本当に良くなっていったことは、以前から聞いていた。

その当時の透析治療は、新しい治療法として全くの手探り状態で、透析治療が受けられることすら、あまり知られていない時代だ。

水分摂取量も、一日200cc と厳しく制限され、当然食事制限もなどは非常に厳しかったこと、

明日、明後日、あるいは、半年後に自分のいのちがあるのか・・ないのか。。そういう状態の中で受けることが透析であり、5年生きればいいとされていたのだ

そのような中で、生き抜いてこられた看護師さんの言葉はとても重かった。

同じ透析を受けている者として転院は勧められないこと

そして「何よりも代えがたいものだと思っています」 と一言だけ言われた。

35年ともなれば、当然多くの合併症との闘いがある。それでも、同じ痛みを背負いながら

看護師として働いておられる その人の存在自体が

何よりの証人 どんな言葉にまさるものであることを深く感じた。

 穿刺が終わり、

 主の前にただ一人、溢れる涙が抑えられなかった。

 最良な透析が受けられるようにと、この病院をお与えくださったのも主。

 心臓の悪い人が、心臓を一日中意識しないでいられるなら、どんなに嬉しいことであるのと同じように、

 また胃腸の悪い人が、一日中お腹のことを意識することなく、美味しく何でも食べれたら、

 どれほどありがたいことかと思うのと同じように、

 この病院をお与えくださり、自分が透析患者であることを時々忘れるほど

 動き回れるようにしてくださったのは、すべては主。 

 しかしその一方で、

  透析治療を始めてもう7年目が過ぎ、透析治療を受けることが当たり前の毎日になっていた。

元気になった分 自分の中で、透析に通うことが、 

 いつの間にか惰性で続けているような感じにもなっていたからだ。

 何と私は傲慢であったのだろう。。。

 
パウロの言葉

「もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられる」

 という言葉を思い返していた。

 確かに、現実は透析治療によって生かされているのだが、

 しかし、真理は、もはや私は透析によって生きてはおらず、

 キリストが私の内に生きておられることによって生かされている


 今回のことを通して、主が示してくださったのは、まさにこのことだった。

 
 院長先生は、紹介状を書いてくださった。

 しかし、私の中で

 転院をどうするとか、この先どうすればよいか・・という思いは消えていた。

 変な話だが、

 とりあえず、紹介状を持ってオーバーナイト透析をしている病院にいこうと思った。

紹介状を持ってきた患者らしからぬ、その病院にとって全く失礼な話だが、 

5時間の高血流透析で、自分の体調が今一番良いこと、そしてなにより、

見たままを話さないわけにはいかなかった。

そして丁寧にオーバーナイト透析をお断りしてきた。



  「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」

 黙示録 2:4〜


 
 
 主人も、そして私の父も、娘も、・・今回の決断を喜んでくれた。

 この先、通える間は今の病院で透析を続け、

 やがて主人が仕事を引退したその時には

 在宅透析をしよう。と主人は言ってくれた。 

 (在宅透析=つまり看護師さんがすることを主人が全部しなければならないことを意味する。)

 たといこの先の5年後がどのようになっているかわからないにせよ、

 主人のその言葉が何よりも嬉しかった。

 主の深い憐れみに、ただ、ただ感謝します。

 
 
  ☆ 今回の転院のことで多くの兄弟姉妹に祈っていただき、

     本当にありがとうございました。 感謝いたします。

     主の祝福が豊かにありますように・・・

    



| | 15:17 | comments(2) | trackbacks(0) |
ラーファー!
 「あなたの道を主に委ねよ。・・」

 詩篇37:5

 
 透析を受けていると、オーバーナイト透析の病院を紹介してくださった看護師さんが

話しかけてこられた。

 先日院長先生と面談を済ませてから、特に連絡も無かったので、他の人が選ばれたんだと思っていた。

 ところが、先方の病院のセンター長さんから電話があり、一床空いたオーバーナイト透析を

私に・・というお話が飛び込んできた。

 早急に連絡がほしいと・・。 

 ビックリしたのは何よりも私自身。

 戸惑いを感じつつも、主の御前に祈った。

 「主よ、あなたの御心でしょうか・・・・」

 
  心にひとつの御言葉が  

 「あなたの道を主に委ねよ・・」 

 
 「おことばとおりになりますように。。」


 ただそれだけを祈った。


 オーバーナイト透析の話は、はじめから不思議なほど道が開かれ、色んな人々を介して

 備えられていった。

 正直、私の思いは、このまま病院を替りたくない・・

 という思いがある。 


 しかし、そんな思いすらも主はすべてご存知なのだ。

 主に従うとき、それは必然的に、自らの思い、

 それが自分にとってどんなにいいことだと思っていたとしても、

 それを主の御前に、手放すこと 放棄すること が求められる。

 従うことは捨てることなのだ 

 主は、いちいちこれこれだから捨てなさい、と説明はされない。

 ただ、御言葉、語りだされた御言葉に応答することを求められるのだ。

 そこにあるのは、ただ、主への深い信頼のみ




 あなたの道を主に委ねよ・・というお言葉とリンクするのは


  「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」 詩篇46:10 
 

 やめよ・・という言葉が 実は  「ラーファー」とへブル語


 もともとは「炎が 枯れ草を『なめ尽くす〜』」


また、他の箇所では、力ある者たちの帯を『解く』という表現で使われていて

「ラーファー」という言葉は、「グッ! と」入れた力を フニャ〜ッと

枯れ草が燃えつくされるように

力を解放すること 帯を解いて(ゆるめて)緊張を解くことであり、

 その問題から手を引きなさい 御手にゆだねて手を引き、

フ〜〜ッ と、緊張を解いて、安心していなさい という意味が込められて

おり、

 したがって、

 詩篇の46:10節は


 「ラーファー! わたしを信頼し、わたしにゆだねて、

あなたは それから手を引きなさい。力を抜きなさい。

わたしこそ神であることを知れ。」

 アーメン!



 
  「ラーファー!」

 と語られる主の御声の前に 今はただ、最善をなさる神にすべてを委ね


 月曜日、今現在通っている透析の病院長に転院の話をする予定です。


 ただ主の御名が崇められますように! 

 



 

 
| | 22:50 | comments(2) | trackbacks(0) |
いのちのことで
 今日は、引っ越してきた地元の透析病院の院長先生のところに面談に行ってきた。

 以前にもブログに書いたが
 http://toku-sati.jugem.jp/?day=20130714 

オーバーナイト透析=(夜9時に始まり翌朝5時に終了する。

夜寝ている時間を使って透析をすることで、日常への生活の拘束がなくなる。

長時間透析をすることで効率のよい透析ができるなどの利点がある。)

のための面談だ。なぜ面談が必要かというと、夜眠っている間に透析を行うので

透析が安定していない患者さんはオーバーナイトにはむかない

なぜなら、寝ている間にいちいち血圧が不安定になり、測定が必要だということでは

眠ることができなくなってしまう。そのほか、心臓に異常がないか、シャントは問題が無いかなど

条件があるのだ。


以前ブログで書いたときには、内覧会には行ったものの、どうなるかはわからなかった。

いろいろな条件や6床しかないベッド・・

これは自分から動くことではない・・と主の御心に委ねた。

ところがつい先日、オーバーナイトの病院を紹介してくれた看護師さんが、

オーバーナイト透析の件はどうされる予定か、と尋ねてこられたのだ。私は

「どうするも何も、厳しい条件であることやベッドが6床しかないから、

すぐに埋まるだろうと半ばあきらめてましたけど・・」笑

と答えた。

すると実は、まだ1床空きがあるのだという。

まだ希望者は他にいるのだが、まだ決まってはいない。とのこと。

院長に会うだけ会ってみたら?・・と。

空きがあるということも、実はその病院の透析センター長とその看護師さんは友人の関係であり、

私がオーバーナイトを希望しているという話をしてくださっていたこと。

その患者さんはどうなっているかと

わざわざ連絡が入ったそうなのだ。

希望すれば、院長の面談が受けれるとのことで、早速行ってみることにした。



・・・しかし、色々考えることは多い。実際、夜間、家を空けるということに対する抵抗や

今の病院は、普通の病院がやらないような、精一杯の透析を行なってくれている。

そのおかげで自らが透析患者であることすら忘れるほど、体調がいい。

他の病院に転院して、透析などの違いから、調子を崩したくない。という思いもある。

などなど、あげれば他にも不安材料はいくつでもある。

しかし・・・ 

私の思いではなく、全てのことは、主の御心ならば・・なのだ。

先日、ある出来事を通して、主は御言葉をくださった。


 「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで 思いわずらい、

何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。」   マタイ6:25

ある姉妹との交わりの中で、示してくださった御言葉だった。



  何を食べよう、何を飲もう とは ありふれた毎日の中の一こま一こまの中に溢れていることだ。

 食べること、飲むことという、生きていくために必要なことを取り上げた上で、

 自分のいのちのことで思い煩うな・・

 という主の御声は 私の心を捉えた。

 透析は食べること、飲むことと直結している。

 当然、どちらも生きていくために必要なことなのだ。

 ところが、

 すべてご存知な主は、自分のいのちのことで思い煩うな。

 という力強いお言葉によって

 私のあれやこれやと思い煩う

 ざわついた波のような思いを一気に静めてくださった。


 たといどのような状況になろうとも、思い煩いは不要なのだ

 復活のキリストに堅く結び合わされたゆえに・・。 ハレルヤ!


 で、・・今日の面談。

 こうなれば、もうどちらの病院に通うことになろうとも、

 主が行きなさいという所へ(また、とどまりなさいという所へ)

 一切は主がその御心をなさるので

 私は従うだけだ。

 
   初対面、しかも、病院長にいきなり要望するのも変な話だが、

 面談で、今の病院が行なっている透析の素晴らしさを

 思いっきりアピールしてきた 笑

 時間の長さも大切だが、
血流量= (「血液流量」とは、1分間に穿刺(センシ)された血管から血液を引き出す量のこと)

 の違いが、こんなにも体の調子を良くすること。

 30年後40年後の体調に大きな差が出ること。

 もし、オーバーナイトで受け入れてくださるときは、自ら実験台(もちろん自己責任で)になるので、
 
 血流量を最大でお願いしたいことなど、初対面の面談で図々しく話してきた。

 現病院で、毎分500mlの血流量で透析を行なっていることに院長は目を丸くして驚いていたが・・・

 伝えるべきことを伝えることができただけでも何よりの感謝だった。

 逆に、こんなに図々しい患者?を受け入れてくれるかどうかは甚だ疑問に思うが。。笑

 

 
 
 
  今通っている病院へは、1時間30分かけて週三回通っている。

遠いといえば遠いのだが、実際、苦痛だとは思っていない。

なぜなら、 家事や色々な用事に心奪われることも無く、

ひとりになれる時間なのだ。

よく、piano worshipなどを聞きながら運転していくのだが、

実はこの賛美のCDすら主の前に出るとき邪魔になる

主に祈るといっても、多くの言葉をあれやこれやと並べたてて祈るのではない

静まり、ただ主を待ち望む 祈ることすら、もはや私によらず、ただ、主イエスなのだ

主ご自身に頼りつつ待ち望むことの恵み 

 賛美CDでも気分でもない、教会堂という場所や礼拝の雰囲気でもない。

 ただ一人の仲介者だけが

いつでも主の臨在の中へと引き上げてくださるのだ。


 すべての出来事の中に、主が居られる


  「 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、

 私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、

私はわざわいを恐れません。

あなたが私とともにおられますから。 (これこそがすべて!ハレルヤ!)

あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。

私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。

私は、いつまでも、主の家に住まいましょう

 詩篇23:1〜






| | 20:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
一枚のタオル
 暑さが和らいだとはいえ、まだまだ日中は暑さが厳しい

外で自販機を設置するようになった主人は

人一倍汗をかく体質

毎日スポーツタオルを5~6枚もって出かける。

ところが、昨日は持って出掛けたタオルを会社の事務所に置き忘れて

そのまま現場に出てしまった。

ただでさえ、今の仕事に対してほとほと疲れを感じている所に大事なタオルの忘れ物。

主人はすっかり意気消沈してしまったのだ 

仕方なくトラックに積んであった雑巾でもいいから汗を拭おうと

思ったらしい。

しかし、ふと足元に目をやると、一枚のタオルが落ちていることに気がついた。

いつも全部持ち帰っているはずなのに・・・。

しかし、その一枚のタオルを見て主人は本当にホッとしたと話してくれた。

よかったねぇ・・と帰宅した主人の話を聞いて感謝した、

感謝?という言葉が今の状況には当てはめれない主人が

疑問を投げかけてきた

私 「でも、そのタオルを見たとき、本当にホッ~としたんだよね・・」

主人 「・・あぁ・・本当にホッとした」

 にっこり^^

主人のすべてをご存知な主

一枚のタオルを通して、深い慰めを主人にお与えくださった主を褒め称えます。



| | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
神の恵み
 昨日、駐車場の契約変更をするために、契約会社まで出かけた。

はじめは一人で行くつもりだったが、

その駐車場を管理しているEさんが、一緒に行ってくださることになった。

実はEさんは、私が幼い頃、とても母と親しくしていた方で

何処に行くにもEさんと母は一緒だったことをとを覚えている。

母があまり私を叱らなかった代わりに、Eさんからよく叱られたものだ。

しかし、あることがきっかけで、Eさんと母との関係がこじれ、

結果的に、母はEさんに対して憎しみを抱くようになり、心を病んでしまった。

母は晩年、Eさんと話がしたいと、何度も言っていたことを

つい先日父から聞いたばかりだった。

結局Eさんと母は話すことはできなかったが

母は、謝りたかったんじゃないかな。。と、

ふと父の話を聞きながら思った。




 駐車場の契約を済ませた後、Eさんと食事を一緒にすることに・・。

 こうやってEさんと食事をしながら話す機会が与えられるなんて

 思いもよらなかった。 

 本当にいろんなことがあったが、時を経て、

 一緒にこうしてお食事ができたことが何よりも嬉しかったことなど

気持ちを伝えることができた。

あぁ、主のご配慮に感謝いたいます!!

ハレルヤ!



        

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これ、と~ってもいいですよ! 

アロエはいいというのは聞いていましたが、本当にいいですね!

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お試しあれ〜



| | 15:41 | comments(2) | trackbacks(0) |